前項では「体罰禁止」よりも「自由競争」をちゃんと機能させることが重要であると述べた。 しつけと称した虐待を行う親がいるからと言って、しつけそのものを否定はできない。 また虐待は、肉体的なものだけでなく、精神的なものもあり、それらも軽視はできない。 ところでなぜ私は「自由競争」にこだわるのか、それには理由がある。 そもそも、どこまでが愛のムチで、どこからが虐待なのか、そのすべてを法律で定義する事はできない。 たとえば民法が改正され、第820条に「子の利益のために」という文言が追加されたが、これで虐待はなくなるだろうか? そもそも「子の利益」とは何なのか「一流大学に入り大企業に入社する事が子の利益」と信じ込んでいる親が、子供を叱りつけ、尻を叩くのは合法なのだろうか? このような問題は、親権に「自由競争」を導入すれば(裁判所の判断を待つまでもなく)迅速に対応可能である。 虐待を防ぐには、親権から懲戒権を削除すれば良いという意見もあるが、それには反対である。 たしかに厳しすぎる躾が原因で殺人事件も起きているが、では叱らない教育が良いのかというと、それはまたそれで野放図に育った子供が殺人事件を起こす、どっちもどっちである。 要は「行き過ぎた躾をなくす」「教育虐待をなくす」ことに注力すべきであり、そのためには「親権の独占」をやめ「自由競争」「市場原理」を導入すればよい。 私自身の体験からしても問題の本質は、
の2点である。 子供が親権を選択できるようになれば、これらの問題は解決する。 だがその一方で、子供が親権を選択できるようになれば、親は叱れなくなり、甘やかしにつながるのではないかと懸念を抱く人もいるだろうが、それは杞憂に過ぎない。 わがままが過ぎれば、引き受けてくれる子供ホームが、なくなるだけのことである。
さらに一方では「子育てに資本が参入すると、それこそ利潤追求、金儲けに育児が利用されるのではないか」と心配する人もいるだろうが、どうだろうか? 現行の養護施設や里親だって補助金目当てでないとも限らない。 むしろ金儲けであっても一向に構わないと私は考える(外国には神父による児童虐待事例もあり、むしろ慈善家ぶった奴の方こそやばいという印象がある)。 要は子供が「自分に合ったムチ(=親権)を選択できるかどうか」という点にかかっている。 あまりひどい搾取をすれば他へ行くだけの話である。 すべては自由競争・市場原理に任せるのが正しいやり方である。
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