第3章 少子化・年金問題はこうやって解決する

3−5 少子化対策と生涯学習社会、そして機会均等

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 少子化対策にはバラマキではダメで、教育コスト削減こそが肝要である、ただ「教育コスト削減」と一口に言ってもそのための手段が問題で一筋縄では行かない。 前項で述べたが、学力による絞り込み、いわゆる「エリート主義」は、弊害が大きく逆効果である。 最も有効で弊害のない手段は課税である。
「大学に行くと一生、学歴税を取られる」社会にすれば「本当に必要な場合以外の」むやみな学歴取得を抑止できる。 そうやって「教育コスト」を削減する。
鬼のような事を言うがそれが正しいやり方である。

果たして奨学金は平等を実現しただろうか? 奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、塾だとか家庭教師だとか、カネの力にものを言わせ、さらにその上を行くものである(子供の塾通いのために自家用機だって飛ばすのだ)また新たな差別化手段「エリート名門」が生み出されるだけである。 平安貴族の化粧ではないが、人を驚かせ畏怖させるまた何かを持ち出して来るだろう。
奨学金のおかげで今の自分があると考えている人は、このような考え方には抵抗を感じるかもしれない。 また金持ちが貧乏人に対抗して「カネの力でさらにその上を行った」としても、最終的に使えない人間は、企業は雇わないわけで、とりあえず貧乏人を大学に行かせてくれる奨学金には、それなりの意義があるという見方も否定は出来ない。 ただ奨学金を無条件に礼賛し、それさえ充実すれば全て解決するというような考え方は止めた方がよい。 何せカネモチを刺激すると教育コストは増大する一方である。 それが巡り巡って我々労働者に跳ね返って来る。 国民負担は増大し、相変わらずの長時間労働、そして本当に大学に行く必要のある社会人が大学に行けなくなる。
みんなが大学に行く社会になったら平等は実現できるのか? 答えはノーである。 ますます教育コストは増大し、貧乏人は搾取され、苦しむばかりである(韓国のようになる)。
そもそも平等なんて最初から無理な話、もういい加減、目を覚ましてはどうなのか、もういい加減バラマキをやめ、土地財産同様「学歴」にもフツーに課税してはどうなのか? それが最終的解決手段、健全な社会を実現する。

全額支給されるかどうかわからない、支給されたとしてもハシタ金に過ぎない「子ども手当」よりも、教育コスト削減の方が、桁違いに規模は大きい、少子化対策としても有効である。 まずやるべきは「教育コスト削減」これを断行すれば、少子化問題は半分以上解決する。 一方それで懸念される「教育の機会均等」についてであるが、生涯教育の場において保障すれば何ら問題はない。 大学だって商売である、学生が激減すれば死に物狂いで改革を進めるだろう。 保険の外交員ではないが、各企業を回り「うちの大学に来てください」と頭を下げる。 そうやって生涯学習社会への移行が進む。

もちろん大学の努力だけで生涯学習社会への移行が進むわけではない、社会や企業の理解はもとより「週休3日制」「学歴税の減免措置」などの社会制度面からの対応も必要である(働き方改革)。 これらの詳細については後述する(3−11 「週休3日制」を実現する方法)。
生涯学習社会においては、子供は「それぞれ自分の稼ぎで」大学に行くから、子供を何人作ろうが親の負担は増えない、つまり子供の人数Nに比例しなくなるわけである。

さて、先ほど私は「教育コスト削減」を断行すれば「少子化問題は半分以上解決する」と述べた。
では残りの半分は? それは国家が子供を養う制度である。 教育コストをできる限り削減した上で、さらに国家がそれを肩代わり、国家が子供を養うようにすれば(子供限定ベーシックインカム)鬼に金棒、世界で最も効率の高い最強の国家が誕生する。
もちろん機会均等という観点からも、これは良い結果をもたらす。 これまでは奨学金というと、成績が下がると打ち切られたり、返済しなければならなかったり、ろくなものはなかったが、生涯学習社会に移行し「自分でカネを払う」事で初めて、真の機会均等が実現できる。

「能力に応じて」とは、やたら難しい試験を受け、勝ち残らねばならないとか、受験準備にやたらカネがかかるとかいう意味ではなく、授業について行けるだけの能力を有しているかどうかである(過度な能力を要求する事は、機会均等への侵害、憲法違反である)学歴税を導入すれば、大学はすべて定員割れになるから、過度な能力を要求される事はなくなり、真の機会均等が実現できる。
競争が無くなれば、学生は勉強しなくなるか、そんな事はない、そもそも生涯学習社会には、非行も体罰も入試もない(カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分である)競争競争と言うが、そもそも食堂が客に早食い競争させるだろうか?(うまいものを作り、教授法を研究し、客や生徒を奪い合う事こそが真の自由競争である)
実社会は能力主義であり、より良い収入を得るためには、勉強が必要なのは言うまでもない。 ただ問題は、実力主義の上に、さらにガクレキなどという屋上屋を架すから、ややこしくなるのである。

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