前項で私は「学歴も土地財産同様、課税対象とすべきである」と述べた。 高学歴であると言うことは、それだけ国家社会に負担を掛け、お世話になっているのだから、それに見合った課税は当然、自覚が必要ではないか? もっともそれに対しては反対論も予想される。 「大学の大量倒産を招くのではないか」確かにリスクはある。 改革には危険はつきものである。 しかし日本がこのまま行っても、座して死を待つしかないのである。 あるいは「そのような事をすれば税金を払えない貧乏人は大学に行けない社会になってしまうのではないか」という懸念を持つ人もいるだろうが、むしろそれは逆で、学歴税は金持ちほど学歴取得を慎重にさせる作用がある。 詳細は第3章「《コラム》学歴税(マトリクス累進による所得税)とは」参照、もちろん行き過ぎれば、マトリクス・パラメータにより調整可能である。 そもそも「教育格差をなくそう」と言ってみたところで実際問題「税制度の介入なくして」それは無理な話である。 というのも、貧乏人が子供の「尻を叩いて」勉強させれば、金持ちは尻叩き人を雇って「もっと尻を叩いて」勉強させるからである。 虐待につながる事はあっても格差はなくならない。
「教育格差をなくそう」なんて現実には無理、だから私は次のように考える。 この際スネかじり人間なんかどうでも良いのである。 それよりも社会人学生が過半数を超え「生涯教育が主流になる」事の方が重要である。 生涯学習社会への移行、これにより教育の機会は飛躍的に拡大する。 そのためには金持ちの「お受験」と一般庶民の「生涯教育」を隔てる「壁」を用意し「お受験」がもたらす悪影響を遮断する必要がある。 というのも同じ土俵にいる限り「親のすねをかじって大学に行く金持ち」が必ず勝つようになっており、それが生涯教育の普及を阻害するからである。 このままズルズル続けて行っても、生涯学習社会は永遠にやって来ない。 だからこそ「学歴」に課税し「絞り込む」あえてそれを行う事で「我々貧乏人=下流のチャンス」が到来するのだ。 「上流枠=お受験」と「下流枠=生涯教育」の分離はもはや必須の制度である。 | |||||||||||
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