さて、そろそろ本題に入ろう、本書「学歴封建体制を破壊する方法」には、次のような例え話が登場する(教育論と言うよりは一種の経済理論なのだ)。 これは「マルクス経済学」と「近代経済学」の双方を学び、それを基に、物理学のような「統一理論」を経済学に見いだそうとする筆者の「長年の人生をかけた研究テーマ」と言えるものである。 巷では消費税増税に賛成か反対か、経済学者の間でも様々な学説がある、○○派、□□派、だがそんな派閥はどうでも良い小さな話である。 私の経済理論はもっと根本的なものである。 まあ大げさな前置きはさておき、その仮説(たとえ話)は次のようなものである。 「全ての大家が息子を大学に行かせれば家賃は値上げされる。」 そもそも「学歴封建体制を破壊する」とは題名からして過激だが、私は別に大学を敵視しているわけではない。 私が言わんとしている事はこうである。 大家の息子だって、全員が学問に向いているわけではない。 だから自分の息子が学問に向いているかよく吟味して、それでも大学に行かせるというなら、それはそれで良い。 大家だって競争がある。 向いていない息子を大学に行かせたら(そんな事に無駄金を使ったら)他の大家との競争に負けてしまう。 このように大家が一定の競争関係、緊張感を持ち(安易に家賃を上げられない状況で)自分の息子が学問に向いているかよく吟味し、それでもなお息子を大学に行かせるのならそれも良かろう。 だが全ての大家が無条件に息子を大学に行かせる社会になったらどうなる? そのコストは家賃の値上げという形で借家人がかぶることになる。 しわ寄せは弱い立場の借家人に向かう。 もっともこれはあくまでも例え話であって、実際の家賃相場はそう単純なものではないが、逆に言えば「たとえ話」であるが故に他にも適用できる。 本書では「教育投資の聖域化・合理性の喪失」として、次のように問題提起している。 「これは、資本家と労働者、社長と従業員、大企業と下請け等『すべての階級間について』言える事である」つまり例え話の「大家」を「資本家」「社長」「大企業」に置き換えれば全て成り立つ事である。 「労働者は資本家に搾取されている」という学者もいるが、特大のブーメランをお見舞いしよう。 いまや資本家だって厳しい競争に晒されている。 資本家が一定の競争関係、緊張感を持った上で、自分の息子が学問に向いているか吟味し、大学に行かせるならそれも良かろう。 だが全ての資本家が無条件に息子を大学に行かせる社会になったらどうだろうか? その費用を捻出するために、労働者は搾取される事になる。 結局儲けているのは誰? 分かったかな? 搾取しているのは資本家ではなく、君たち学者! しかもこれは小さな金額ではない。 例えば「NHKをぶっ壊す!」なんて政党もあるようだが、NHKの受信料なんて地上波に限れば「一生涯搾取されたとしても」百万円程度―――これが五十万円に減らせるのかどうかは知らない―――だがそれに比べ大学・受験産業に流れるカネは? 桁が違う! しかも教育コスト増大が引き金となって少子化が進み、年金制度は傾き、日本は滅びつつある。 金額もさることながら「少子化に結びついている」構造的問題、これは大きい。 地球温暖化など世界規模の問題が山積する中、国を滅ぼしてどうする? 事の重大性はまるで違う。 「老後資金は年金だけでは2,000万円不足する」という試算もあるが、学歴ビジネス(大学・受験産業)が日本社会に与えているダメージは、ちょうどそのレベルではなかろうか? もちろん働けるうちは働くのが基本だが、いつまで働けるか、雇ってもらえるかは分からず、国民の不安は尽きない。 NHKより「大学をぶっ壊す!」が先では? 「ざんねんないきもの」いやいや「ざんねんな党」である。 もちろん私は、教育投資を否定しているわけではない。 教育投資は重要であるとは認識している。 だがこれについても懐疑的な見方がある事だけは紹介しておこう。 その最右翼が橘玲(たちばなあきら)氏の著書「言ってはいけない」彼は「教育投資はムダ」と断言している、ホリエモンも大学無償化には反対「カネをドブに捨てるようなもの」―――私は彼らに比べれば、まだ教育投資は必要と思っている側だが、それにしても、もう少し効率的に出来ないだろうか? 学歴社会なんて言うけど、これは学者にカネを貢がせるためのシステムである。 国家権力から学問の自由を守るために、その様な「封建システム」もかつては必要だったのかもしれないが、この先「カネよこせ」「口は出すな」がいつまで通用するだろうか? クラウドファンディングなど研究資金を集める手段など幾らでもある現代において「親のすねをかじり」「親に負担をかけ」「親に怒られ勉強嫌いを増やすだけ」の「学歴封建体制」などマイナスでしかない。 しかも問題はそれだけではない。 働き方改革なんて言っても結局、子供を大学に行かせるために、カネを稼がねばならない、働かざるを得ないのである(過労死も過労自殺もこのシステムが原因)。 このような無理・無駄・搾取が何重にも積み重なった結果「優秀かどうか以前に貧乏人は生まれることすらも出来なくなる」それが少子化問題である。 まさに奨学金それ以前の問題である。 | |||
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