そもそも教育というものは、失業問題の解決につながるのだろうか? その答えは、イエスでもあり、ノーでもある。 アメリカである実験が行われた。 ホームレスを1人つかまえてきて彼に住む家を与え、大学に行かせてやるのである―――その結果、彼は就職できた。 こうして教育は彼の失業問題を解決した。 だがそれでもって「教育は失業問題を解決する」と言えるかといえばノーである。 ではすべてのホームレスを大学に行かせれば「失業問題」はこの世から消え去るか? そんな事はない。 みんなが大学に行き「それが当たり前」になってしまえば、大学を出ていても相対的な価値は下がり、やっぱり就職できない者が出て来る(皆がやり出せば振り出しに戻る!)。 変にレベル=敷居の高い(しかもやたらカネのかかる)高学歴社会になるだけである。 つまり教育は個人レベルでの失業問題の解決や、個人レベルでの収入増につながるかもしれないが、社会全体としての失業問題には無力であるし、社会全体の豊かさにつながるかも不明である。 社会の発展(生産性向上)に正しくつながれば良いのだが、単なる見栄の張り合い、無意味な学歴獲得競争に翻弄され「ムダな学歴を増やすだけ」に終わるのかもしれない(大層な学歴を持っていても、それを生かせる職業に就く事が出来なければ無意味、むしろプライドが高い分マイナス)。 だから教育が失業問題の解決につながるかどうかと問われれば「イエスであると同時にノー」としか言いようがない。 むしろ下手に高学歴化してしまうと、教育コストが増大し、少子化が起こり、財政は悪化し、福祉は後退し、それこそ国を滅ぼして行くシナリオも考えられる。 そもそも教育とは、平等を実現するための武器なのか、それとも格差を作り出すための武器なのか、人を解放するための道具なのか、それとも抑圧するための道具なのか?
さて失業問題の本質は何なのか、突き詰めて行くとこういう事である。 「無駄をなくそう」とか「生産性向上」などとよく言われるし本書でもその様な事を書いている。 それと矛盾するようだが、ムダもまた必要なのである。 なぜなら生産性向上の結果、失業者が町中に溢れたのでは困るからである。 失業者が町中に溢れたのでは社会は不安定化する。 そこでスポーツだとか、レジャーだとか、ゲームだとか、ネットだとか、新しい遊びが生まれ、それに金と時間を費やす事で新たな雇用が生まれる。 つまりこれら「生存に直接関係しないムダ」が社会を調整してくれているわけである。 ただそうはいっても、あくまでも「コントロール可能なムダ」でなければならない。 程々に楽しんでいるうちは良いが、コントロール出来なくなり、ギャンブルに金をつぎ込み借金して人生を狂わせたのでは大問題である。 さてそのような観点から「教育」というものを再度検証してみると「余剰労働力の吸収体」「雇用調整機関」としての「学校」は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。 若者にとっては何のための勉強か分からない辛い側面があり、非行に走ったりあるいは体罰やいじめなどの人権問題もあるが「コントロール可能なムダ」として、なおかつ「たまには役立つ教育・学問」は優れた性質を持っている。 もっとも「今も本当にコントロール出来ているか」というといささか疑問が残る。 教育コストの増大が少子化・年金問題、そして最終的に国家財政の破綻を招くならば、それはコントロール出来なくなって来ている証拠ではなかろうか? 「人口が維持できない」それは最も基本的かつ重大な問題である。
教育にしろ、ゲームにしろ、要はコントロール出来ているかどうかが問題である。 結局コントロールできなくなり、破滅を招くのであれば、ギャンブルに金をつぎ込み借金しているのと同じである。 本書は、このように暴走しコントロール不能に陥った「教育・学歴」を、再びコントロールする手段を提供するものである。 次にいじめ問題について触れておきたい。 そもそもなぜいじめなんかするのか、なぜ自殺なんかするのか、それは端的に言うと学校が面白くないからである。 なぜ面白くないか、それは「人にレッテルを貼りランク付けする」学歴ビジネス(サムライ商法)が幅をきかせているからだ。 教師の力量という問題もあるが、荒れる学校で神経をすり減らし、精神の病を患う教師がいる事を思えば、教師だけのせいにする事は出来ない。
いじめや自殺は底辺校だけの問題ではない。 現行の教育制度は「出来る子」にとっても面白くない制度である。 何に興味を持ち、何を学んだのか、何に感銘・感化されたのかとは無関係にやたら難関大学に合格する事のみに価値を求める「学歴社会じゃなくて学校歴社会」「いや学校歴以前の偏差値入学歴」それは勉強好きの子供にとっても面白くない。 受験勉強に追われ読みたい本も読ませてもらえない、知的好奇心まで抑圧される。 そして日本人にとってピークとは「合格して入学した」それで終わってしまうのである。 勉強好きの子供をわざわざ勉強嫌いにして行く「後が続かない」まずいシステムである。
勉強にしろスポーツにしろ、基礎訓練が辛いのは仕方のないことである、しかしそれにしても絶望しか残らないのはなぜなのか(必要以上に辛くしているものがあるのではないか)もちろん悪いのはいじめっ子であるし、親や教師の力量不足もあろうが、最終的に「1人儲けしている」サムライ商法、彼らが引き起こしている公害である。 彼らはこれまで「日教組的悪平等=共産主義の恐怖」を巧みに利用して来た。 だが冷静に考えて「学歴」「お受験」の問題は「競争か平等か」「資本主義か共産主義か」といった大層なイデオロギー問題ではなく、単なる「サムライ商法」の問題である。
とはいえ、私はいわゆる「サヨクの平等イデオロギー」を支持しているわけではない、平等論やバラマキでは、この問題は解決できない。 火に油を注ぐだけである。 むしろ逆に課税し搾り取ってやればよい、そちらの方向に解決の光を見た。
「学歴税」を導入し「むやみな学歴取得を抑止する」教育の軸足を「子供から大人へ移す」そうすれば何度でもやり直しが効く社会になる。 そうなれば子供は「絶望から解放」され、それらに起因する自殺やイジメ犯罪もなくなる。 そもそも子供が、イジメや理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。 ガクレキが「今しか買えない商品(今でしょ!商法)」だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる。 「卒業証書のために辛抱を重ね自殺する」そんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し「借金だけが残る」まさしく教育ビンボー。 生涯学習社会に移行し、ガクレキが「いつでも買える商品」になれば、そのようなムダ・横暴は抑止できる。 生涯学習社会には「非行も体罰も入試もない」カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分だからである。 体罰をなくそうとかのキレイ事タテマエ論もこの際どうでも良い。 時間の無駄である。 それより「サムライ商法をぶちのめす」事が先決である(体罰禁止のポーズはサムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)。 サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)たかが学校と客観視する姿勢が重要である。 教育や学歴がすばらしいものなら、社会人にこそ、どんどん広めてもらいたいものである。 大学・受験産業は、ガキ相手に「サムライ商法」や「殿様商売」して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。 教育に投資する事自体は決して悪くはない、ただ教育ビンボーはダメである。 では教育ビンボーをなくすには? ここでよく勘違いする人がいる。 奨学金や授業料無料などの援助を主張するのである。 だがそのようなバラマキは(甘い汁に群がる蟻のように)ますます高学歴化に拍車をかけ、たとえ個人の教育ビンボーを解決できたとしても、今度は国全体が教育ビンボーになる(韓国のようになる)。 本質的解決にならない(サムライ商法を税金で養うようなもの、ますますのさばらせるだけである)。 教育ビンボーをなくす正しい方法は、学歴に課税し(聖域なき課税)他の資産・投資と対等に扱い、効率を比較検証する事である。
もちろん他と比較するのはガクレキだけではない。 ボランティアだってコスト意識を持つ必要がある。 臨教審でも「ボランティア」を主張する者もいたが、そもそも兵役かボランティアか知らないが、その間「誰が給料を支払い養う」のだろうか? 「ボランティア」を主張する連中には、そのような視点が欠けている。 このように若者本人や彼らを養う親の「負担を増やすだけ」「若者の自立を遅らせるだけ」の「徴用」は、国家にとって一見美味しそうだが、実はタダほど高いものはない。 ボランティアなんかやっている暇があったら早く自立して子供を作れ! それが愛国心ではなかろうか?
一方、高学歴化そのものの問題点もやはり指摘せねばならない。 みんなが大学に行く「平等社会」を目指すサヨク、その「平等論」は、理想としては素晴らしいが、やり方がまずいと言わざるを得ない。 例えばオヤジがリストラされたせいで大学に行けなくなる子供がいるが、では平等を実現するために「労働者をクビに出来ない法律」を作れば良いのだろうか? そのような法律は、経営基盤の強い大企業・役人だけに有効であり、中小企業には効かない(いくら権利を主張しても会社が潰れればどうにもならない)。 結局どうなるかというと、なまじ「クビに出来ない法律」があるがために、大企業の「仕事の出来ない奴」を辞めさせる事が出来ず、代わりに下請け社員が振り回され、こき使われる事になる。 また別の意味での格差ブラック問題を引き起こす。
このように「変な労働者保護」あるいは「奨学金等のバラマキ」が、結局のところ何の解決にもつながらず、逆に弊害を引き起こしている点は、これまで指摘した通りである。 抜本的改革が必要である。 「国家が子供を養う」「週休3日制」「生涯学習社会」「ワークシェアリング」など、本書が主張する「負担軽減」にこそ未来がある。
たとえ給料がアップしても、負担が重くなれば帳消し、それどころか「何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない」弱みにつけ込んだ悪徳ブラック企業が蔓延る事になる。
形だけで中身のない「労働者保護」「賃上げ」よりも、本当に有効なのは、
自民党・財界の主張するBつまり「雇用の流動性」にしても、親の負担軽減つまり@Aが前提ではなかろうか(それを飛ばすから批判されるのである)。 一方、連合・労働組合側にも反省点はある、いくら春闘で頑張っても、結局は社会全体の生産性が向上しない限り生活は良くならないわけで(効率の悪い事をしていてはダメである)
が必要ではなかろうか? そもそも受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか? それは本書が「まえがき」で提起しているテーマである。 教養を高め国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず世のためになっていない(もはやAI以下、AIが進歩して仕事を失うのではなく、人間が劣化してAI以下になる事で仕事を失う「教科書が読めない子どもたち」新井紀子著)。 さらに「野放図に増大を続ける教育コスト」は、社会に歪みを作り出し、社会の発展を阻害し、教育貧乏になって行くばかり―――そういう事は止めさせないといけない。 そのための武器が「学歴税」である。
能力の有る者と無い者が同じ扱いなら悪平等である。 とはいえ、では何を以て能力とするのか、単に丸暗記がうまければ良いのか? もちろんそう言わせないために、様々な入試改革が行われては来たが、それでも完全ではない。 そもそも人間の全ての能力がテストで計れるわけではない。 ガクレキが力を持つようになればなるほど、テストで計れない能力・才能は否定され、辛い思いをすることになる。 さらにテストで計れる能力だって、それがどの程度の効率で、社会の役に立っているかも不明である。 東大卒の政治家や総理大臣もたくさんいるが、彼らが賢いのかバカなのかも良く分からない。
ぶっちゃけた話、カネモチが「その身分を子孫に引き継ぎ」「未来永劫のものにするために」いわば相続税対策として「目を付けた」のがガクレキへの投資である。 ガクレキに投資した上で、あとは「骨董が高く売れる」ガクレキ社会を構築する事で、投資を回収する。 つまり社会の役に立つかどうかは別として、ステータスシンボルとしてのガクレキ、能力主義を装ってはいるが実際は違う、詳しくは「2−2 差別論」でも述べているが、これは差別制度の一種である。 金持ちが考えた「税金逃れ」のお陰で、いまや多くの国民が、いや金持ち自身も苦しんでいる。 本書が下した結論はシンプルである。 今後金持ちは、お受験だとか特訓だとか回りくどい事はやめ、単純に「学歴税を支払って」大学に行けばよろしい。 ガクレキ社会の目的は2つある。 1つはいま先ほど述べた「金持ちの相続税対策」そしてもう1つが「国民に劣等感を植え付け支配する道具=身分制度の代用品」これは平等論を唱え革命を狙っているサヨクに対抗するためのものである。 とはいえこれも今となっては陳腐化し(いまだに学歴かよ〜)国民を苦しめるばかりである。 競争社会云々の議論も、社会を発展させる競争なら良いが、単に消耗させ劣等感を植え付ける目的の競争もあるから注意が必要である。 教育にカネをかけること自体は決して悪くはないが「国民に劣等感を植え付け支配する道具」と化す可能性もあるから注意が必要である。 さらにそれが、サムライ商法に利用されることになる。
教育・少子化・年金・財政、これら日本を破滅に導く重大問題、その根源は、カネばかりかかり効率の悪い「ガクレキ封建体制」にある。 まず課税し、再考を促す「親のすねをかじって大学に行く事をやめさせる」「生涯学習社会へ移行させる」そこから改革が始まる。 そのための方法論だけでなく、考え方=思想を提供するのが、本書の目的である。
なにしろ日本人が、ガクレキ(受験戦争)のために費やしているGNPは、防衛費を追い抜いてトップなのだから、もっと効率を考えて、その半分でも他に回せば、児童虐待問題も、オヤジの長時間労働・過労死問題も、少子化問題も、年金問題も、すべて解決する。 学歴税を導入し頭を冷やす、それが内戦を終結させる決定的手段。 内戦の終結は、国民のありとあらゆる階層に福音をもたらす国益である。
障害者団体は「生きる権利」を主張する。 だが彼らの主張がいまいち我々の心を打たないのはなぜか? 親の期待通りにエリートコースを歩まなかった私は、親から失敗作、欠陥人間として扱われてきた「お前は弱かったんだ」「何か欠陥があるのではないか」「この出来損ない変態!」このように健常者でさえも生き辛く自殺しまくっている世の中で、障害者だけが声高らかに権利を主張しても、権利は守れるのか、むしろ在日特権のようなものと解されヘイトが広がるだけでは? 差別は君たち障害者だけの問題ではないのである。 しかも福祉予算だって無限ではない。 もう少し目配りの効いた主張はないのか?
私が子供だった頃に比べれば、体罰や人格否定は少なくなってきている、しかしやっている事は今もそれほど進歩していない、不安をあおり勉強しろと恫喝しても、いまさらだれも勉強しないし(深刻に考えてもノイローゼになるだけ、それで淘汰されるわけである)仮に勉強して有名大学や大企業に入る者がいたとしても、彼らも勉強しなくなるのは時間の問題(入学や入社といった通過点に過ぎないものを「最終目標」にしてしまったのが最大の失敗)いったい何パーセントが「使える人間」になるのだろうか? あまりにも歩留まりが悪い「生産性が低い」の一言に尽きる。 せっかくの優秀な人材も腐らせてしまっている。 学力低下如きに騒ぐ必要はない(サムライ商法の思うつぼである)エリートなんて人口の1割もいれば充分である。 ただあまりにも効率が悪く、カネばかりかかり、優秀な人材まで腐らせている点は指摘せねばならない。 単なる通過点を最終目標と錯誤し、やたら苦難を強いている。 あるいは待機児童という妙な問題がある。 貴方はおかしいとは思わないか? フツーに考えて、保育園が、需要があり儲かるものなら、資本が参入し、コンビニエンス・ストアーのように、黙っていてもどんどん増えて行くはず、そうならないのはなぜか? これは「バラマキ=補助金」が市場経済をねじ曲げ、おかしくしている典型的事例である。
第1ステップとして「学歴税(マトリクス累進)」を導入し「ガクレキ封建体制を破壊する」 さらに第2ステップとして「国家が子供を養う(子供限定ベーシックインカム)」を導入する。 この手順を踏まえれば、親の負担は激減、生産性は飛躍的に向上し、少子化・年金、その他日本が抱える諸問題は、すべてきれいに解決する。
子供を大学まで行かせれば3,000万円、中学までなら1,500万円、つまり「半額」大卒1人育てるカネで、中卒2人育てる事ができる。 これは何を意味するか? 極論ではあるが、すべての子供が中卒で働くようになれば「少子化問題も年金問題も全部解決する」という事だ。
もっとも私は大学を否定しているわけではない。 大学行きたければ自分で稼いで行けばよろしい(自分が稼いだカネの方が勉強も身につく)そういう人こそ優遇すべきである。 勉強するのは良い、しかし注意すべきは、学歴を宗教にしてはいけない、ということ。 政治イデオロギーの左右を問わず、保守派もサヨクも「学歴教の信者」であるのは、よく知られているが、さらには維新のような既得権益打破を訴える政党も教育だけは別扱い(今や教育こそ最大の既得権益)それに加え「学歴なんかぶっとばせ」などと言っている低学歴者支援団体も学歴封建体制の破壊には否定的、なぜならそれを破壊すれば、学歴コンプレックスを利用している自分達も飯の食い上げだからである(本当にぶっとばされては困るのである)一見して低学歴者の味方的な奴も、実は学歴コンプレックスを利用して金儲けしているわけで、そういう奴らもまた日本を食い潰すシロアリである。 幸い私はコンピュータプログラマをやっている。 学歴とは関係ない職業である。 私にとっては、親のすねをかじり(親に負担をかけて)大学に行く学歴封建体制は「効率ワルー」の一言であり、社会の効率、生産性の観点から、学歴封建体制の破壊を主張する(教育制度の非効率に関しては、ホリエモンも同様の事を言っている)。
まず「学歴税」という形で、はっきりと「教育コスト」を認識させるべきである。 無償化や奨学金などの政策はあくまでも「学歴税を財源として」「その税収内で」「一定の許容範囲を定めて」行う事である(学歴税以外の財源はたとえ金持ちや企業への課税強化であっても、最終的に貧乏人や労働者に跳ね返って来るものである)。 教育の機会均等(憲法26条)も良いが、一方では中卒で職人に弟子入りする若者もいるわけで、そのような者が不利とならないよう、学歴に関してはニュートラルな政策でなければならない(憲法89条)。 私学助成が違憲とまでは言わないが(むしろ私学だけを槍玉に上げたのでは本質を見誤る、国公私立を問わず教育に莫大な税が投入されているのは事実であり、憲法89条の精神を鑑みれば)高卒が稼いだ4百万と、大卒が稼いだ4百万の所得税が同じであってはならない(学歴要素にも累進を!)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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