第2章 学歴税(マトリクス累進)を導入せよ!

2−11 良性格差と悪性格差

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 前項でも触れたが「格差社会」を脅しにやたら高学歴化を煽るのが、サムライ商法の常套手段である。 高卒と大卒とでは生涯収入に1億円の差がある、しかしだからと言ってみんなが大学に行くようになり「大卒が当たり前」の社会になれば、大学を出ても「別にエリートでも何でもない」必ずしも高収入は保証されなくなる。 それで儲けたのは学歴ビジネス=サムライ商法だけ、いやサムライ商法が金儲けするだけならまだ良い、教育コストの増大は少子化の原因となり日本は大変な事になる。

会社組織を考えてみるが良い。 1割の優秀な社員とそれ以外の社員では生涯収入に1億円ぐらいの差は出て来るだろう。 で、その優秀な社員が大卒だったとして、それは大学教育のおかげか? 違うだろ、一定の割合で、優秀な「やり手」はいるものである。 つまりもともと優秀な人がたまたま大学に行っていたと言うだけの話であって(優秀な人が大学に行く確率は高い)これでもって大学教育が素晴らしいという証明にはならない(大学に行けば誰もが1億円収入が増えるかのような言い方はペテンである)。
高卒の求人が減っている、しかしそれが「大卒が必要とされている」とイコールではない。 誰もが大学に行き「安価に多量に大卒の労働力が得られるようになれば」企業だって無難な方を選ぶだろう(なにしろ中卒や高卒は家庭の事情を抱えている場合がある)本人の能力とは無関係の「色」が付くことになる。
「電柱の数よりも大卒が多くなれば」企業も「本当に大卒が必要な仕事か」よりも「無難だから大卒」になってしまう、これは差別である。 では差別を禁止? 禁止してなくなる? 一方で奨学金などの救済を主張する者もいるが、これも誤り。 大卒は増やすのではなく(欧米のように)減らす方向が正しい(減れば企業は高卒を採用するしかない)。 ではどうやって減らすか、入試や卒業を厳しくするのか、これも誤り。
入試や卒業を厳しくしても、金持ちはもっとカネかけるだけ、それより「社会の役に立つ本当に有用な学歴なら学歴税を払ってもそれ以上に儲かるはず」課税することで一定のバイアスをかけるのが正しい。

サムライ商法に惑わされないために、私は次のような考え方を提案する。
コレステロールに善玉と悪玉が、腫瘍に良性と悪性があるように、格差にも良性と悪性がある、格差のすべてが悪いわけではない。 では良性と悪性の違いは何か? そこでまず良性格差とはどういうものかについて説明しよう。 良性格差には次の2つがある。

良性格差(その1)
貧乏人も豊かになっているが、金持ちはもっと豊かになるので、数値の上で格差が拡大した。
 → 社会全体が発展して行き、豊かになって行くならば、格差があったとしても、基本的にそれは「良性格差」である(ビルゲイツやイチローと自分の収入を比較しても仕方ない)。

良性格差(その2)
中流層が引きずり下ろされる事により、数値の上で格差が拡大した。
 → アメリカにおける中流層の凋落、日本における年功序列の崩壊。 だが冷静に考えて、これらは、年齢や資格、学歴、大企業社員というだけでこれまで「無条件に高い給料をもらっていた」連中が、引きずり下ろされたわけだから、むしろ喜ばしい事ではないか?
(格差が拡大したのではなく、むしろ是正されたと解釈すべきである)

 基本的に、ビルゲイツやイチローなどどうでも良い、そんなものに私は興味ない、私にとっては、格差があろうがなかろうが、自分の生活が「以前に比べて豊かになれば」つまり社会が発展していれば、オッケーである。 では何をもって「豊かになった」と判断するのか、それについてもお教えしよう。
様々な指標はあるだろうが、私が判断基準としてお勧めするのは、
「これまで治せなかった病気が治せるようになった」
という事である。 この判断基準からすれば、医学が進歩し、なおかつ年金・医療制度が健在である限り、日本社会の格差は「常に良性」である。 では最後に注意しなければならない(これから増えて来るかもしれない)「悪性格差」とはどのようなものかについて説明しよう。

悪性格差とは、
簡単に言うと「社会の発展を阻害し」「貧乏人をさらに貧乏に」「治る病気も治らなくして」「不幸のどん底に突き落とす」という格差で、これはまさしく「教育ビンボー」の事である。
子供の教育にやたら金をつぎ込む「教育ビンボー」それが教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、年金・医療制度を崩壊させる。 「国家そのものがサムライ商法に乗っ取られ食い潰されて行く」「韓国のようになって行く」それが「悪性格差」である。

「良性格差と悪性格差」が私の分類方法だが、巷では「相対格差か絶対格差か」という分類がなされている、これは学者=サムライ商法側の立場に立った分類である。
アフリカのように食い物がない「絶対的貧困」はともかく、はたして「大学進学を諦める」程度の「相対的貧困」まで解消する必要はあるのか?
みんなが大学に行くのに自分は行けない、それは確かに辛いだろう、しかし人は人、自分は自分である。 それに「教育格差」が問題というなら、貧乏人を大学に行かせるよりも、大学に行った金持ちに対する「何らかの課税」を考える方が先である。
むしろ「相対的貧困をなくそう」と高学歴化を推し進めた結果、教育コストが増大し、少子化が進み、年金・医療が崩壊し、あげく「病気も治せない絶対的貧困に陥る」といったオチの方がはるかに怖い。

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