まえがき

自由競争か階級闘争か(まえがき)

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――― かつてサド家の小公子の習い事と言えば、乗馬ぐらいなもので、のどかな毎日を過ごしていた。 ところがある日、遠い北の国で革命が起こり、その波がサド家にも押し寄せてきた。
「このままでは、我が国でも革命が起こる」と危機感を抱いた一族が結集し、革命を阻止するための方策について話し合いが持たれた。 その結果「革命を阻止し領民支配を続けて行く為には、ステータスシンボルとしてのガクレキが必要だ」という事になったのである。
 それからというもの小公子は、城に閉じ込められ、ムチを持った特別に厳しい家庭教師によって、長時間の勉強を強制される事になった。 その後、労働者や農民も進学競争に参加するようになり「本人を蔑ろにした見栄の張り合い」は泥沼化して行くのである。―――

――― はじめ保守派は遺伝決定論、即ち頭が悪いのも貧乏なのも、全ては遺伝子が悪い、血統が悪いから、という考えを持っていた。 それに対し環境決定論を唱えたのが革新派である。
「遺伝か環境か」冷戦時代とはこれら2つの考え方の衝突でありせめぎ合いであった。
 はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り「子供はみんな同じだ」なんて事になったら共産化して行くと恐れた)。
そこで「子供はみんな同じではありません」という事を示すために(差別化)1人1人競争させ順番をつけるような教育を行い(序列主義)それが自由競争であり、そのような教育に反対する者は共産主義者であると決めつけ戦ってきた。 テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨクの平等論や無限の可能性論がある。―――

 さて時代は変わり、今や誰もが金さえ出せば、高校・大学に行けるようになった。
そして体罰も昔ほどは行われなくなった。 だがそれで問題は解決しただろうか?
増大する教育コストが、少子化・年金問題を引き起こし、今や日本は破滅に向かいつつある。
いかにしてそれを食い止めるか―――それが本書のテーマである。

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