学歴封建体制を破壊する方法

本書は主に、教育問題、少子化問題、年金問題について記述していますが、それ以外の日本が抱える諸問題についても、明確に答えています(目からウロコものの明確な回答です)
詳しくは、本文を読んで頂ければ分かるのですが、忙しい人のために、それぞれの問題ごとの解説ページ(リンク)を用意しました。
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解説および索引(リンク)

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※ 厚労省は「愛の鞭ゼロ作戦」というチラシを配っている。 その内容は暴言や体罰で脳が萎縮するというのだが(笑)厚労省大丈夫か? 気の短い親に虐待された子供の脳が小さかったとしてもそれは遺伝かもしれない。 脳が小さくなるというような「脳幹論まがいのオカルト」で若い親を恫喝するのは不適切子供を叱れなくなる躾は日頃からの信頼関係と節度の問題である。 ※ 躾が出来なくなり「甘やかされ自己抑制が効かなくなった」子供がそのまま大人になり、次の世代を虐待するパターンも考えられる。 虐待の連鎖といっても1つではない、様々なパターンがある。 ※ そもそも子供に悪影響を与えるのは暴行暴言だけではない、強迫観念を執拗に植え付ける親もいるし、親自身が忍耐力のない駄々っ子、あるいはパチンコ依存ネグレクトの親もいる。 問題の本質は体罰ではなく「どんなクズ親でも返品交換できない」ところにある。 いま本当に必要なのは体罰禁止ではなく「クズ親を切り捨てる=世代間の悪影響をリセットする=国家が子供を養う制度」である。

悲惨な虐待死事件が起こると「家庭体罰禁止」を狙っているサヨクは色めき立つ。だが家庭体罰を禁止しても虐待する親には効果なし。サヨクの狙いは子供を虐待から守る事ではなく「脳が萎縮する」などと脅して「(体罰どころか)子供を叱れない社会」を作り出す事にある愛の鞭ゼロ作戦、P.137)。虐待死事件が起こるたびに「家庭体罰禁止」が取りざたされるが、茶番はもうウンザリである。家庭体罰を禁止しないと虐待を取り締まれないというのは面倒な仕事したくない児童相談所の言いぐさでもあって、では禁止すれば仕事してくれるかというと否である(それは明治以来禁止されている学校体罰が未だに根絶できていない事実からも明らか、タテマエ論よりも実効ある政策が望まれる)。「禁止しましたハイ終わり」ではダメである。そもそもアメリカは、体罰合法であるにもかかわらず虐待は虐待としてちゃんと取り締まっている。日本にそれが出来ないわけがない虐待防止どれだけ子供にカネをかけるか予算の問題である。※虐待から子供を守る実効ある政策は国家が子供を養う=子供限定BIそれは同時に親の負担軽減、少子化対策でもある。ただそれがこれまで実現できなかったのはなぜなのか、理由は国家が子供を養ってくれれば親たちはどうするかという事、つまりそれで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせるだけの結果になるからである。子供手当もみんなそう大学・受験産業が口を開けて待っている従って国家が子供を養う=子供限定BIを実現するためには、その前に学歴税の導入が必須である。

サカキバラのような性的倒錯とスパルタ教育の関係については定かでないが、少なくとも言える事は、親や教師が目先の事(学業やスポーツの成績)に一喜一憂するあまり子供の異変に気づかず対応が後手後手に回る可能性はある(それは他のいじめや自殺も同じ子供の泣き言などいちいち聞いていたのでは受験戦争は出来ないという風潮が今も残っているのではないか?)サカキバラも毎年繰り返されるイジメ自殺も、一向に無くならない虐待も無差別殺人も人命軽視の結果である。

子供を萎縮させるのは間違っているが、では単純にのびのび育てれば良いかというと周囲の迷惑もあるので、そうとも言い切れない(私が小学生時代のいじめっ子がそうであった)

さてそのような観点から「教育」というものを再度検証してみると余剰労働力の吸収体雇用調整機関としての「学校」は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。 若者にとっては何のための勉強か分からない辛い側面があり、非行に走ったりあるいは体罰やいじめなどの人権問題もあるがコントロール可能なムダとして、なおかつたまには役立つ教育・学問は優れた性質を持っている。

次にいじめ問題について触れておきたい。そもそもなぜいじめなんかするのか、なぜ自殺なんかするのか、それは端的に言うと学校が面白くないからである。なぜ面白くないか、それは「人にレッテルを貼りランク付けする」学歴ビジネス(サムライ商法)が幅をきかせているからだ。

そもそも学校が面白くてたまらなかったら学ぶ喜びに満ち溢れていたらくだらないイジメなんかやらないだろうし、仮にイジメられたとしても自殺なんかしないだろう。

大人の世界にもイジメはある、例えば解雇部屋とか、本人に原因があるのか、単なるくじ引きの結果なのか、いずれにせよこれは簡単にはクビに出来ない(自分から辞めるように持って行くしかない)日本社会独特のもの、企業が悪いと言うよりは、本来国が行うべき社会保障を企業に押しつけている事に原因がある。

イジメに関しては、これは単純に善悪の問題ではない。 原因分析が必要である。 善悪の問題として扱う限り、ドグマ(教条主義)スローガンの域を出ない。

いじめや自殺は底辺校だけの問題ではない。 現行の教育制度は出来る子にとっても面白くない制度である。 何に興味を持ち、何を学んだのか、何に感銘・感化されたのかとは無関係にやたら難関大学に合格する事のみに価値を求める学歴社会じゃなくて学校歴社会

勉強にしろスポーツにしろ、基礎訓練が辛いのは仕方のないことである、しかしそれにしても絶望しか残らないのはなぜなのか(必要以上に辛くしているものがあるのではないか)もちろん悪いのはいじめっ子であるし、親や教師の力量不足もあろうが、最終的に1人儲けしているサムライ商法、彼らが引き起こしている公害である。

学歴税を導入しむやみな学歴取得を抑止する教育の軸足を「子供から大人へ移す」そうすれば何度でもやり直しが効く社会になる。 そうなれば子供は絶望から解放され、それらに起因する自殺やイジメ犯罪もなくなる。 そもそも子供が、イジメや理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。

教養を高め国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず世のためになっていない(もはやAI以下、AIが進歩して仕事を失うのではなく、人間が劣化してAI以下になる事で仕事を失う「教科書が読めない子どもたち」新井紀子著)。

格差やビリよりも問題は教育コストと生産性の関係にある。AIで自動化できるような丸暗記に投資する価値はない。価値の無い物に一生懸命カネと時間をかけ(そのような事のために)子供を殴り辱め(その結果)不登校や引きこもりイジメ少子化など様々な問題を引き起こし、最終的に国が滅んで行くならば、福祉は崩壊、社会的弱者は殺される事になる(まさに「透析患者は殺せ」「心失者は殺せ」が現実となる)。

自由競争こそが今日の繁栄を築いて来た以上(多少の弊害はあっても)受験競争そのものを否定する事など出来ない受験競争がいやなら(競争のない)社会主義国へ行け結局、これまでガクレキ封建体制が続いてきたのは、冷戦時代の、左右イデオロギー対立に守られてきたからである(これは教育問題ではなく政治問題)

ビルゲイツ帝国打倒よりも、まずは己の年功序列・丸投げ体質こそ先に何とかしろビルゲイツ帝国を批判するなんぞ百年早いと言いたいが、これは技術の問題というよりは政治イデオロギーが絡んでいる厄介な問題である。アメリカ帝国主義打倒ソ連は素晴らしいと言い張っている奴に何を言ってもムダなのと同じだ。

日本会議森友美しい神の国は邪魔であるが、自民党の経済政策は正しい(民主党がやればもっと酷くなる)。

その背後には、冷戦時代の根深いイデオロギー対立がある。昔は受験競争は自由競争である自由競争に反対する者は共産主義者だというイデオロギーの下に、スパルタ塾なんていうものがあり、子供は学校でも塾でも家庭でもビシバシ殴られていた。 さらには成績を張り出す、なんて事も当たり前のように行われ、それが自由競争であると信じられていた。

しかし私としては、ベーシックインカム云々のイデオロギー論争よりも「子供を養い大学へ行かせる重荷」これをまず何とかしてもらいたい、こちらの方が先である。

彼らはこれまで日教組的悪平等=共産主義の恐怖を巧みに利用して来た。だが冷静に考えて「学歴」お受験の問題は競争か平等か資本主義か共産主義かといった大層なイデオロギー問題ではなく、単なるサムライ商法の問題である。

しょせん子供相手の悪辣なサムライ商法破綻するのは目に見えている。 「競争は楽しい」だと? 競争で伸びる子もいればそうでない子もいる、競争イデオロギーに凝り固まるのではなく現実を見よ。

とはいえ、私はいわゆる「サヨクの平等イデオロギー」を支持しているわけではない、平等論やバラマキでは、この問題は解決できない。 火に油を注ぐだけである。

政治イデオロギーの左右を問わず、保守派もサヨクも「学歴教の信者」であるのは、よく知られているが、さらには維新のような既得権益打破を訴える政党も教育だけは別扱い(今や教育こそ最大の既得権益)それに加え「学歴なんかぶっとばせ」などと言っている低学歴者支援団体も学歴封建体制の破壊には否定的、なぜならそれを破壊すれば、学歴コンプレックスを利用している自分達も飯の食い上げだからである(本当にぶっとばされては困るのである)一見して低学歴者の味方的な奴も、実は学歴コンプレックスを利用して金儲けしているわけで、そういう奴らもまた日本を食い潰すシロアリである。

余談になるが、露骨な遺伝決定論を唱える学者は、日本だけではない。 ドイツにもアメリカにもいた。 黒人の知能は低いと発言し物議を醸した学者もいる。 なぜそんなイヤな事を言うのかというと、その背後にはそれなりの事情がある、冷戦時代のイデオロギー対立である。 ズバリ格差を正当化するためである。

制服廃止には生産性向上、自由な発想、横並び・集団迎合から個人主義・自己責任へ、さらには教育コスト削減などの効果がある。加えてLGBTやBDSMなど性的少数派の子供の選択肢を広げるものとしても朗報である。

はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り「子供はみんな同じだ」なんて事になったら共産化して行くと恐れた)

学歴とは、そして学問とは何なのか?平等を実現する武器なのか、それとも格差を作り出すための武器なのか?

諸悪の根源は格差でも、学力低下でも、弱肉強食の資本主義でもなく、誰もが息子を大学に行かせようと見栄を張るガクレキ封建体制にあるのである。

格差を是正しようとしても本当の解決にはならない。その理由を説明しよう。そもそも下流の人たちすべてを中流に引き上げる事など出来ない。 仮にやろうとしても中途半端な結果に終わるのは目に見えている。もし中流が増えたら物価の水準が上がってしまって下流が苦しむことになる。 「下流」を引き上げる事よりも「中流」を引きずりおろす事の方が重要である。 特に下請けに丸投げし「形だけ管理」をやっているような連中は、その能力を厳しく問いなおし、下請けと同等かそれ以下に賃金水準を引きずりおろす必要がある。

これからは「中流」はなくなり「ますます少数に絞り込まれたエリート」と「大多数の凡人」という社会になって行くだろう。それを格差ととらえるか「平等」と捉えるかは、考え方次第である。

これまで「中流層」は自民党を支持し「上流」の側についていた(つまり「下流」の事など考えていなかった)ところが少子化が起こり、経済情勢が悪化し、自分たち中流も「下流」に突き落とされると分かってきた、そこで格差社会批判アベノミクス批判を始める。ずいぶんと身勝手なものである

国民を不幸のどん底に突き落とすのは、格差でもなければ、学力低下でもない。 第1章でも述べたが、教育コストの野放図な増大教育ビンボーが国を滅ぼす。

「大学に行かないとロクな仕事に就けないよ」「ますます格差は広がるだろう」とか言って恫喝するのが、サムライ商法の常套手段、そうやってカネを搾り取るのである。

勉強勉強と子供の尻を叩けば、豊かになれるのか、幸せになれるのか、格差はなくなるのか、そんなことはない。 それはお隣の韓国を見れば分かる。

むしろ今後は格差社会をネタにカネをゆすり取る「サムライ商法」の方こそ気をつけるべき、いま問題なのは「格差よりも教育ビンボー」である(「中流を増やせ!」は中流に寄生するサムライ商法の主張でもある)。

もう一度言う、2割の富で8割の人間がとりあえず食って行けるのなら格差なんか別にどうでも良い、革命など馬鹿げている、それよりも「誰もが上流を目指しムリをする」的外れな努力を重ね消耗する教育ビンボー、それが引き起こす「少子高齢化」「年金医療の崩壊」こちらの方がはるかに怖い。

高卒と大卒とでは生涯収入に1億円の差がある、しかしだからと言ってみんなが大学に行くようになり大卒が当たり前の社会になれば、大学を出ても別にエリートでも何でもない必ずしも高収入は保証されなくなる。 それで儲けたのは学歴ビジネス=サムライ商法だけ、いやサムライ商法が金儲けするだけならまだ良い、教育コストの増大は少子化の原因となり日本は大変な事になる。

コレステロールに善玉と悪玉が、腫瘍に良性と悪性があるように、格差にも良性と悪性がある、格差のすべてが悪いわけではない。 では良性と悪性の違いは何か? そこでまず良性格差とはどういうものかについて説明しよう。

悪性格差とは、簡単に言うと「社会の発展を阻害し」「貧乏人をさらに貧乏に」「治る病気も治らなくして」「不幸のどん底に突き落とす」という格差で、これはまさしく教育ビンボーの事である。

そもそも「教育格差をなくそう」と言ってみたところで実際問題「税制度の介入なくして」それは無理な話である。 というのも、貧乏人が子供の「尻を叩いて」勉強させれば、金持ちは尻叩き人を雇って「もっと尻を叩いて」勉強させるからである。 虐待につながる事はあっても格差はなくならない。

資本力がありなおかつ労働組合の強い大企業において、格差是正を口実に「年功序列」が復活するだけだ。それは、格差是正を口実に新たな格差が作られる事に他ならない。

それよりもこれだけ科学技術が進歩し生産性が向上しているのに、江戸時代の「楢山節考」の世界に後戻りして行くとするならば、何か構造的な問題や、もっと他にすごい穴があるはずである。 それは、格差や役人や成金セレブなどのせいではなく、我々の生活、社会制度に原因があると言えよう。

そもそもバカが野球を見るから野球選手が大儲けしてセレブになるのであって、格差がけしからんというなら野球も見ない事である。

金持ちばかりがますます金持ちになり、貧乏人は取り残されて行く、それを格差というなら、それは何も金持ちだけが悪いわけではない―――というか私の感触からすると、ほとんどは貧乏人の側に原因がある。 貧乏人の方こそ反省しないといけない。 「何か間違った事をしているのではないか?」

児童虐待問題が「例外的」「社会のお荷物扱い」である限り、それにつけ込んだ差別や不利な扱いもなくならず、すべてにおいて「後まわし」にされ格差が生じるものである。 この問題を解決できるのは「全ての子供を対等に扱う=国家が子供を養う制度」以外にない。

左翼の卑屈な平等論もダメだが、一方で競争競争とバカの1つ覚えみたいに、格差を作り出す事ばかり考えている保守派もダメである。

さらに生涯教育が普及せず、親のすねをかじって大学に行くガクレキ封建体制がスタンダードとなっており、親の格差がもろに子供に影響する。

「国家が子供を養い」「子供が保護者を選択する」制度に反対する連中の本当の狙いは「子供は親を選べない」という性質を利用して「劣悪な環境を放置し」「格差を作り出し」「己の利権を守る」点にある(2−14 大奥の原理)。

そもそも教育とは、平等を実現するための武器なのか、それとも格差を作り出すための武器なのか、人を解放するための道具なのか、それとも抑圧するための道具なのか?

不平等を訴えるのなら、むしろ金持ちを敵に回すのではなく「土地財産にばかり課税され、ガクレキには課税されない」という現行制度の不平等を訴え、金持ちを味方につけた方が賢明である。

なまじ「クビに出来ない法律」があるがために、大企業の「仕事の出来ない奴」を辞めさせる事が出来ず、代わりに下請け社員が振り回され、こき使われる事になる。また別の意味での格差ブラック問題を引き起こす。

「正社員を増やし生活を安定させよう」などと言うのは、少子化対策としては全くのナンセンス、むしろ無理に「正社員を増やそう」と中途半端な事をする、それもまた新たな特権階級を生み出し、格差・歪みの原因である。

そもそも正社員と派遣社員の2種類あるから格差が発生するのであって、格差をなくすにはどちらか一方にすればよい。全員を正社員に出来るのなら良いが、これからの時代どう頑張っても半分も正社員には出来ない、となるとむしろ正社員を減らす方が平等に近づく。

私が不満に思うのは、大企業はいまだに年功序列であり、彼らの方が高給である。 よって格差を無くすためには、正社員を減らすのが正しいと考える(政府にはもっと正社員を減らしリストラを進めるように企業を指導してもらいたい、間違っても正社員を増やせなどと言ってはいけない)。

単能工が5年間働いたから正社員にして欲しいなどという要求は無視である、それよりも年功序列のオヤジがコンピュータプログラマよりも高い給料をもらっている事の方が問題(これこそ本当の格差問題)なぜそうなってしまうのか、それは単能工を安易に正社員にしたからである。 格差を無くす正しい方法は、正社員を減らすか、または正社員の給料を引き下げる(退職再雇用するまでもなく下げる)事である。

かつてマルクスが資本論で述べた「資本家と労働者の対立」はもはや過去のもの、むしろ現代は「資本家の搾取」よりも「サムライ商法に搾り取られないよう」気をつけるべき(2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!)格差格差と騒いでいる学者が一番クサイ

巷では「格差か悪平等か」という議論があって、左右の政治勢力が激しく争っているが格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!それが本書の主張である。

共産党もイスラム教も平等を求めるが、結局「また新たな特権階級」「絶対権力」を生み出すだけに終わる。それよりも社会が発展し充分豊かになれば「格差なんかどうでも良くなる」それが本当の共産主義。格差に固執してはいけない格差よりもサムライ商法に気をつけろ!それが本書のスタンスである。

大学無償化なんてもう言うな「穴を広げる」だけである。 教育格差をなくす正しい方法は「無償化よりもまず財源確保(学歴税)」である(簡単な事である、ガクレキも土地財産と同等に扱えばよい)。

では少子化対策として、フランスのように、第3子以降を優遇するか? しかしこれも、日本ではうまくいかない。 企業別労働組合である日本では、大企業と中小企業の格差は歴然としている。 子供を3人育てるなんて大企業の社員しかできない。 必然的にこれは「大企業優遇の制度」となり(格差を広げる事にはなっても)少子化対策にはならない。

返済不要の奨学金は、成績条件が厳しく、普通の生徒には関係ない話である。 一方で金持ちはバカでも大学に行く、その格差はなくならない。

学問に実利ばかり求めるのは間違っているが―――とはいえ少なくとも少子化や年金問題などの害を引き起こさないよう配慮すべきだろう、国を滅ぼしたのでは学問の自由も多様性もない

他の資産運用と比較すれば、学問は実利一辺倒になってしまうのだろうか、そんな事はない。むしろ成熟した生涯学習社会を迎えてこそ初めて学問の自由・多様性が保証される。(親のすねをかじっている限りは良くて就職のための道具それ以上の物にはならない)

学歴差別に対する強力な武器は学歴税である。 学歴に対し適切な課税を行う! 「そんなに大学に行きたかったら、税金払いなさい」どうぞ御勝手にと言っておく。 それが最もスマートな解決法である。 学歴からも税金を取ってやれば良いのである。 国家が税金取るぞ!という姿勢を示せば、過剰な学歴、中身のない学歴は、たちどころに消えてなくなる。

左翼は固定資産税金持ちブルジョアを攻撃しているつもりだろうが、これは結局、家賃という形で労働者に跳ね返って来るだけである、むしろ学歴税の方こそ早急に導入すべきなのだが―――高学歴インテリの左翼にそれを言ってもムリだろうか?

そもそも雨露をしのぐための生活必需品である家にまで課税されるのに、なぜ贅沢品にすぎない学歴、見栄メンツのための学歴に課税されないのか、学歴こそ課税すべきである。 という視点に立った税が学歴税である。

「2−14 大奥の原理」でも少し触れたが貧乏人を大学に行かせる方法を考えるのではなく金持ちを大学に行かせない方法を考えた方が正解である。 学歴税を導入すれば金持ちは頭を冷やす事になる。

親権にも自由競争「市場原理に晒す」これぞまさしく学歴税と並ぶ日本社会のタブーである。

このままでは、我が国でも革命が起こる危機感を抱いた一族が結集し、革命を阻止するための方策について話し合いが持たれた。 その結果「革命を阻止し領民支配を続けて行く為には、ステータスシンボルとしてのガクレキが必要だ」という事になったのである。それからというもの小公子は、城に閉じ込められ、ムチを持った特別に厳しい家庭教師によって、長時間の勉強を強制される事になった。 その後、労働者や農民も進学競争に参加するようになり本人を蔑ろにした見栄の張り合いは泥沼化して行くのである

「受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか」これは本書が、まえがきで提起しているテーマである。

そもそも受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか?それは本書が「まえがき」で提起しているテーマである。教養を高め国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず世のためになっていない(もはやAI以下、AIが進歩して仕事を失うのではなく、人間が劣化してAI以下になる事で仕事を失う「教科書が読めない子どもたち」新井紀子著)。さらに「野放図に増大を続ける教育コスト」は、社会に歪みを作り出し、社会の発展を阻害し、教育貧乏になって行くばかり―――そういう事は止めさせないといけない。 そのための武器が学歴税である。

特権階級は、己の特権を守る事しか考えないものである。 口先では機会均等などとキレイ事を唱えていても、腹の中では....@ いかにして自分の息子に英才教育を施し、他と差別化するか、 A いかにしてよその子供の足をすくって倒すか、

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになっても、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、金の力にモノを言わせ、さらにその上を行くものである。結局のところ、やたらと高学歴化を進め社会全体の教育コストを増大させるばかりで、平等は実現できない。 奨学金といえども結局バラマキに過ぎないわけである。

奨学金なんて何の解決にもならない。 奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちは(もっとカネをかけ)さらに上位の学校に行くだろう。そして金持ちのバカ息子を大学に行かせるために、貧乏人は「ますます厳しく」搾取される。卑近な例で言うなら、借家人の息子が奨学金の助けを借り大学に行くようになれば、それに危機感を抱いた大家は、息子を大学院や難関大学に行かせるだろう。 結果教育コストは増大し、巡り巡って家賃が値上げされるのだ! すると貧乏人はますます窮地に追い込まれる。

果たして奨学金は平等を実現しただろうか? 奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、塾だとか家庭教師だとか、カネの力にものを言わせ、さらにその上を行くものである(子供の塾通いのために自家用機だって飛ばすのだ)また新たな差別化手段「エリート名門」が生み出されるだけである。 平安貴族の化粧ではないが、人を驚かせ畏怖させるまた何かを持ち出して来るだろう。

金持ち特権階級にしてみれば、ガクレキとはあくまでも差別化の道具である(身分制度が廃止され相続税をガッポリ取られれば残るはもうガクレキしかない)そのために、かつてはスパルタ英才教育があったわけだが、詰め込み教育には弊害が多くもう限界、そこで金持ちの学力を上げるのではなく貧乏人の学力を下げるというのが「新たな差別化手段」として浮上してきた、それがいわゆるゆとり教育である。

金持ちばかりが大学に行き、貧乏人は大学に行けない不平等だ俺たちも大学に行かせろと主張するのは賢明ではない。 なぜなら奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらなる付加価値を求めもっと金をかけさらにその上を行くのは当たり前、イタチごっこ、平等なんて永遠にやってこない。また新たな差別化手段、エリート名門が生み出されるだけである。

不平等を訴えるのなら、むしろ金持ちを敵に回すのではなく土地財産にばかり課税され、ガクレキには課税されないという現行制度の不平等を訴え、金持ちを味方につけた方が賢明である。

金持ちの息子が全員大学に行くようになれば「その費用捻出のため」弱い立場にある貧乏人は搾取される(すべての大家が息子を大学に行かせるようになれば「家賃は値上げされる」なぜなら「息子を大学に行かせない大家」がいなくなる事で価格競争が無くなるからである)。※このような「搾取=コスト転嫁」は大家と借家人との間だけでなく、資本家と労働者、社長と従業員、大企業と下請け等「すべての階級間について」言える事である

まず親にとっては負担が重い。 例えば息子が3人いて、3人とも大学に行かせようとするならば、オヤジは学費を稼ぐため過労死寸前まで働かねばならない。 これが一時期騒がれた過労死問題だが、まだそれでもカネを稼げる時代は良かった。 高度経済成長が終わり、年功序列が崩壊した現在では、かつてのようにカネが稼げず、子供を作ること自体も躊躇せざるを得なくなる。 それが少子化・年金問題となってあらわれる。

封建体制というと、オヤジは髭を生やし威張っていれば済むような気もするが、それは昔の話。 同じ封建体制でもガクレキ封建体制はそうはいかない。 子供の人数に比例した教育費負担がオヤジに集中し、オヤジはそれを稼ぐため死に物狂いで働かねばならない。 子供が3人いて3人とも大学へ行かせるともなれば、それこそ家族と顔を合わせる暇もなく、朝から晩まで働かねばならない。 それが結果として少子化の原因となるのはこれまで述べた通りだが、それだけでは済まない。 過労死寸前まで働く事が普通になってしまった社会では、女性の進出は難しい。 結果としてますますオヤジは忙しくなるのである。 もしあなたが経営者の立場だったらどうだろう。 意図的に女性を差別するつもりはなくても、結婚までの腰掛け程度のアルバイトと、過労死寸前まで働いているオヤジを対等に扱えと言われても、無理ではないか? 口先だけで「男女平等」などと言っても無意味なのだ。 本気で女性の社会進出を進めたいなら、まずは男性が過労死寸前まで働かなくてすむ社会にすることである。 それはつまりオヤジに負担をかけない社会で、それを実現するためには、@ ガクレキ封建体制を破壊する。 A 親のすねをかじって大学に行く事を止めさせる。

これまで左翼は、学校増設、入試改革、奨学金制度によって平等を実現しようとしてきた。 しかし冷静に考えて、このやり方で平等は実現できるのかと言えば否である。 みんなが高校・大学に行けるようになっても、いわゆる名門志向型の受験地獄はなくならないし、貧乏人が大学に行けるようになったら、その頃はもう金持ちは大学院に行くのが当たり前になっているだろう。 いつまでたってもイタチごっこ、平等なんて永遠にやって来ない。 それどころかますます高学歴化が進み、イヤな社会になって行く。 国民の負担は重く、教育ビンボーになるばかりだ。 教育費を稼ぐためオヤジは過労死し、そして少子化・年金制度の破綻を引き起こす。 ※ 左翼は「みんなが大学に行く平等社会」を作り出す事で「カネモチ特権階級」を追い詰めているつもりだろうが、実際に追い詰められているのは貧乏人の方である。

そもそも問題の本質は何なのか? 年功序列のオヤジが「何人もの」ムスコを大学に行かせる家父長制度・ガクレキ封建体制これではいくらカネがあっても足りない。 春闘も賃上げも焼け石に水、オヤジは教育費を稼ぐため過労死し、少子化・年金問題を引き起こす。 それだけ無理をしているわけである。 それに比べ「子供はそれぞれ自分の稼ぎで大学に行く」生涯学習社会だったらどうだろう? これだと「子供を何人作ろうが親の負担は増えない」つまり「子供の人数Nに比例しない教育費」が実現できる。 では生涯学習社会へ移行させるにはどうすればよいか? まず子供を安易に大学に行かせないこと、そのためには学歴税を導入し、冷や水を浴びせることである。

子供を養い大学へ行かせる重荷さえ解消すれば、過労死問題も、少子化問題も、かなりの部分解消するオトナのベーシックインカムなんて別に必要ではない。

本当に問題を解決したければ、キレイ事を並べ立てるのではなく、原因を究明すべきである。 「何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない」「奨学金(学生ローン)を返済するために働かざるを得ない」そのような人が増えれば増えるほど労働条件は悪化「過労死やブラック企業が蔓延る」法律でいくら規制しても「ザルで水をすくうようなもの」ブラック企業に効果はない。

長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには「教育コスト削減」が効果的である子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!過労死も少子化も、すべては無理が祟っているのである。

では過労自殺問題はどう解決する? これは単純に日本人の給料が高いからである。 中国人やベトナム人より何倍も高い給料もらっている限り(それに見合う成果がなければ)厳しい事を言われるのは当たり前、日本人の給料はもう少し引き下げるべきである。 生活が苦しくなる? だったら子供を大学に行かせなければ良い。 サムライ商法をぶった切れば過労自殺問題は解決する。 さらに低賃金であっても資産形成が可能になる。 ※ 中国人やベトナム人だってバカではない、彼らの何倍もの成果を要求されれば、東大卒の優秀な人材だって自殺する。 それが過労自殺問題の本質である。

なにしろ日本人が、ガクレキ(受験戦争)のために費やしているGNPは、防衛費を追い抜いてトップなのだから、もっと効率を考えて、その半分でも他に回せば、児童虐待問題も、オヤジの長時間労働・過労死問題も、少子化問題も、年金問題も、すべて解決する。 学歴税を導入し頭を冷やす、それが内戦を終結させる決定的手段。 内戦の終結は、国民のありとあらゆる階層に福音をもたらす国益である。

※ 人工知能が仕事を奪うとか言うのなら、まず長時間労働を無くせよ、時短で調整しろよ、簡単な事だろ? それが出来ないのは、AIへったくれよりも社会制度の問題、親のすねをかじり親に経済的負担をかけて大学に行くガクレキ封建体制これではダメ、オヤジは過労死である。 ※ 過労死寸前まで働く事が規範となっている社会で、自分一人だけ定時に帰る事は出来ない。 口先だけの働き方改革ではなく学歴封建体制を破壊する事こそが実効ある政策である。

たしかに能力は重要であるし、努力次第である程度向上もする。 ただ本来、社会の役に立ち人を幸せにしてこその能力だ。 単に点を取るだけの能力に意味はない。 学歴は能力という隠れ蓑に身を包んだ点で、最も巧妙で悪質な差別で、子供に負担をかけ虐待する。

単に競争率が高いから難関だから地獄なのか? もしそうだとしたら受験生よりもプロ野球選手の方が地獄である。 競争に負けたとたんに食べていけなくなるからだ。受験が地獄になるのは、親にガミガミ怒られ、肉体的・精神的に虐待されるからだ。そして子供は親を選べず逃げ場がないからである。競争率が高いから難関だから地獄というわけではないのである。

親のすねをかじって大学に行かせてもらうそれしか実質的に道のないガクレキ封建体制は、子供にとって抑圧的で、管理教育や体罰、虐待など様々な人権問題を引き起こしてきた。

そもそも教育格差をなくそうと言ってみたところで実際問題税制度の介入なくしてそれは無理な話である。 というのも、貧乏人が子供の尻を叩いて勉強させれば、金持ちは尻叩き人を雇ってもっと尻を叩いて勉強させるからである。 虐待につながる事はあっても格差はなくならない。

それに今の日本で大学は無料なんて事にしたら無料を巡って激しい受験戦争が起こり、虐待される子供も増えるだろう。 受験準備にやたらカネがかかり授業料は無料だけど、やっぱり金持ちしか大学に行けないというオチにもなりかねない。

社会の共有財産である「子供」を私物化しているのは、子供を虐待し殺そうが何をしようが己の勝手と考えている底辺のバカな親だけではない。自分の息子をエリートに仕立て上げたいとか、社長の地位を継がせたいとか考えている、上流階級の教育熱心な親も同じである。

公徳心愛国心を訴え、中には教育勅語だとか、教育基本法改正だとか憲法改正などと言う人もいるが、そうした大層な改正など必要ない(キレイ事では解決しない)。 それよりも国家が子供を養う制度にすればよい。 そうすれば否応なく子供は公的財産という事になり、児童虐待は不可能になる。 ダメな親から離れられないが為に人生を棒に振るなんて事もなくなる。 悲惨な虐待死事件が起こるたびに思う、いったい国は何をやってくれたというのか公徳心だとか愛国心などという文言を羅列し押しつけるのではなく、自然にそうした精神が芽生えるようにすべきではないか?

そもそも親に養われているから、子供はお受験をはじめとする見栄や欲に苦しめられるわけで、国家が子供を養い子供が保護者を選択する公的な制度にすれば、つまり子供が経済力を持つようになれば、肉体的虐待だけでなく、精神的虐待からも解放される。

躾にしても、どこまでが愛のムチでどこからが虐待なのか、法律で規定するには限界がある。しかし子供が保護者を選択できるようになれば、自由競争の原理が働き、一定の緊張感が生まれ、自ずと適正な範囲に収まるだろう。

そのためには、「親が子供を養う」封建制度をやめ国家が子供を養う近代的制度に切り替えればよい。 それが世界から虐待を撲滅する最も強力な武器となる。

国家が子供を養うとは即ち赤ん坊の経済価値を保証する事であり、それにより命が守られる。 経済価値がプラスになり、親にとってメリットのあるものになれば、子供はもっと大切に扱われ、虐待も減って行く。

サカキバラのような性的倒錯とスパルタ教育の関係については定かでないが、少なくとも言える事は、親や教師が目先の事(学業やスポーツの成績)に一喜一憂するあまり子供の異変に気づかず対応が後手後手に回る可能性はある(それは他のいじめや自殺も同じ子供の泣き言などいちいち聞いていたのでは受験戦争は出来ないという風潮が今も残っているのではないか?)サカキバラも毎年繰り返されるイジメ自殺も、一向に無くならない虐待も無差別殺人も人命軽視の結果である。

お受験にしても、少子化のおかげで、大学全入のゆとり時代にはなったものの、いわゆる名門志向型の受験戦争はなくならないし、虐待や殺人もなくならない。 本質的には何も解決していないと見て良いだろう。

国家が子供を養う制度においては、見栄の張り合い・ムダな競争・虐待が防止できるほか、子供にも人件費という概念が導入される。これにより教育の分野でもコスト管理がなされ、無駄を省き生産性を向上させることが出来る。

そもそも能力大学を諦めさせる手段に使うには無理がある。それはプライドを刺激し、誰もが背伸びするようになり逆効果である。受験戦争が激化し、丸暗記や珍問奇問が蔓延り、子供は虐待される。受験準備にやたらカネがかかるようになり、むしろ教育コストは増大する。

現行の児童相談所は、重度の肉体的虐待を救済するのが精一杯であるが、子供ホームが充実し一般化すれば、精神的虐待も含め、すべての虐待に対応可能となる。学歴税および国家が子供を養う制度は、少子化・年金問題を解決するだけでなく、虐待問題をも解決するのである。

虐待というと、暴行やネグレクトばかりがクローズアップされるが、精神的虐待も重大である。親が神経症(ノイローゼ)の傾向を持っていると、それが子供に伝染する可能性がある、特に受験期は注意が必要である。

そもそも肉体的虐待だけでなく精神的虐待も、さらにはノイローゼの伝染現象まで、すべてを児童相談所が審査し、認定する事は可能だろうか?「審査・認定にカネと時間をかける」よりも子供に好きに選ばせた方が安上がりである。

例外的社会のお荷物扱いも、また差別・虐待を生み出す。

子供ホームも子供自身が選べるようにする。 そうすれば競争原理が働き子供ホーム内における虐待や管理教育も防げる。 要は子供が親権を選択できるかどうか自由競争が働いているかがミソ、核心であって、別に体罰を禁止する必要はない。

前項では「体罰禁止」よりも「自由競争」をちゃんと機能させることが重要であると述べた。しつけと称した虐待を行う親がいるからと言って、しつけそのものを否定はできない。また虐待は、肉体的なものだけでなく、精神的なものもあり、それらも軽視はできない。ところでなぜ私は「自由競争」にこだわるのか、それには理由がある。

そもそも、どこまでが愛のムチで、どこからが虐待なのか、そのすべてを法律で定義する事はできない。 たとえば民法が改正され、第820条に子の利益のためにという文言が追加されたが、これで虐待はなくなるだろうか?

むしろ金儲けであっても一向に構わないと私は考える(外国には神父による児童虐待事例もあり、むしろ慈善家ぶった奴の方こそやばいという印象がある)。 要は子供が自分に合ったムチ(=親権)を選択できるかどうかという点にかかっている。

※ 悲惨な虐待が後を絶たない一方で、虐待していないにもかかわらず、虐待を疑われ、親子が引き裂かれる悲劇もありうる(痴漢がいれば痴漢冤罪があるように)。 そのような場合でも子供に親権を選択する権利があると法律に明記されていれば裁判所がそれに基づき判断出来る。

また体罰以外にも精神的虐待など数えればきりがない。体罰を禁止するのではなく風通しを良くする、親権にも自由競争・市場原理を導入すべきというのが本書の主張である。

もちろん命に関わるような暴行は論外だが、体罰だけを取り締まっても意味がない。むしろ精神的虐待やノイローゼの伝染にこそ注意を払うべきだろう。

子供の教育は、どこまでが愛のムチで、どこからが虐待なのか、法律でそのすべてを規定することはできない(愛のムチとは悩ましいものである)

そんな中いまだに独占的強権を握り、子供の人生を弄び虐待し殺しまくっているのが親である。

少年法の弊害は言うまでもないが、それ以前に、本当に少年法は、少年を守っているのか?虐待された少年が家に火を放った、そういう場合には少年法が守ってくれるのかもしれないが、子供が保護者を選択できるようになっていれば、虐待され苦しむ事も最初からなかったし、家族も巻き添えを食らわなくて済んだのだ。

凶悪な少年犯罪があるが故に、少年法を廃止(縮小)せよという意見もある。 だが子供は親を選べない高学歴化により親の影響がさらに大きく、子供の人生により決定的壊滅的打撃を与えるようになり、しかも劣悪な環境や虐待がなくならないならば、廃止(縮小)どころか「マジで延長」せざるを得なくなる。

学校が建設されると、それで終わりかというと決してそうではない。 それはまたそれで受験戦争が勃発し子供は殴られ虐待される(日本に限らず他の国も同じ)

学校の利益、己の保身のために殴るのは、そもそも体罰ですらない、単なる暴行・虐待である(これを体罰と呼ぶのは体罰に対し失礼である)

社会が発展し国が豊かになっても児童搾取と虐待は相変わらず、とどまる事を知らない。これら諸問題をすべて解決する究極の手段がある、それは、

それは刃物を持った変質者でも、アニメオタクでもない「親」である。精神的、肉体的、性的、いずれの場合でも、子供にとって最大の虐待者は「親」である。その理由は明白である。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc.....プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる(小さな政府)。

例外的社会のお荷物扱いも、また差別・虐待を生み出す。 やるならすべての子供を対象に国家が子供を養うようにすべきなのだ。

悲惨な虐待死事件が起こると家庭体罰禁止を狙っているサヨクは色めき立つ。 だが家庭体罰を禁止しても虐待する親には効果なし。 サヨクの狙いは子供を虐待から守る事ではなく脳が萎縮するなどと脅して(体罰どころか)子供を叱れない社会を作り出す事にある(愛の鞭ゼロ作戦、P.137)。

親の期待通りにエリートコースを歩まなかった私は、親から失敗作、欠陥人間として扱われてきた。肉体的虐待だけでなく精神的虐待からも子供が救われるのは、いったいいつになるのだろうか?

虐待から子供を守る実効ある政策は「国家が子供を養う=子供限定BI」それは同時に親の負担軽減、少子化対策でもある。 ただそれがこれまで実現できなかったのはなぜなのか、理由は「国家が子供を養ってくれれば親たちはどうするか」という事、つまり「それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせるだけの結果になる」からである。 子供手当もみんなそう「大学・受験産業が口を開けて待っている」従って「国家が子供を養う=子供限定BI」を実現するためには、その前に学歴税の導入が必須である。

なにしろ日本人が、ガクレキ(受験戦争)のために費やしているGNPは、防衛費を追い抜いてトップなのだから、もっと効率を考えて、その半分でも他に回せば、児童虐待問題も、オヤジの長時間労働・過労死問題も、少子化問題も、年金問題も、すべて解決する。

虐待されているのは小さな子供だけではない。 中学生も高校生も虐待されている。 体格では負けない彼らがなぜ抵抗できないか、それはガクレキの問題である。 ガクレキがないと就職できない、ガクレキを得るためには親の力を借りるしかない。

評価ともう1つ、教師の手を煩わせているものに給食費の滞納がある。払える金があるのに払わない親がいる一方で、経済的事情から払いたくても払えない親もいる。だからこの問題に一律に対応するのは困難である。

国家が子供を養う制度になれば、給食費滞納問題も一発で解決する。そもそもなぜ教師が給食費を集めなければならないのか?教師は子供に勉強を教えるのが仕事だ。滞納云々以前に「集金で教師や校長を煩わせる」それ自体が生産性の低下である(カネを集めるのは税務署のプロに任せておけばよい)

野放図に増大する教育コストは、重大な社会・経済問題である。

そもそも子供を大学に行かせるのに、どれだけカネがかかっているのか? そのコストに比べれば、子供手当なんて屁みたいなものである。 極論を言えば子供手当や児童手当なんか別になくてもすべての子供が中卒か高卒で一旦就職する社会になれば、親の負担は激減し、それだけで少子化問題は快方に向かう。 大学に行きたければ自分が稼いだカネで働きながら行けばよろしい

前項では、教育コストの増大に比べれば、児童手当子供手当も焼け石に水、所詮はバラマキに過ぎないと説いた。 教育にカネがかかりすぎる。 だから児童手当それ以前に、教育コストをまず削減する事こそが、少子化問題解決につながるというのが、本書の主張である。

本書が対案として主張する学歴税は、大学をリストラし、より引き締まったものにする(同時に教育コストを削減し少子化問題も解決する)優れた税である。

もちろん能力開発は重要だが、社会の役に立ち人を幸せにしてこその能力である。 丸暗記競争が蔓延り、それにムダ金をつぎ込む、親は子供を無理して大学へ行かさざるを得なくなる。 それは単に差別問題であるばかりか、教育コストの増大を招き、社会・経済に重大な影響を与える。

空洞化は学力低下によって起こるのではなく、学歴差別によって起こる。出現した新たなカースト=ガクレキ、その差別を恐れるあまり、猫も杓子も大学を目指し、教育コストが増大し賃金が高騰し、それで空洞化が起こる。

空洞化は高学歴化による教育コスト増大によって起こる。年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせる=家父長制度・ガクレキ封建体制と、それを支えて来た年功序列=高すぎる賃金が重いツケを残し、国を滅ぼすのである。

高学歴化による教育コストの増大賃金の高騰は、経済に重大な影響を与え産業・技術の空洞化海外移転を加速し、これにうまく対応できないと国を滅ぼすことになる。空洞化・海外移転が起こればものづくり価値の低い下流下請けの仕事外国人の仕事になってしまうから、若者は技術に触れる機会を失う。

つまり高学歴化による教育コスト増大賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

政治家は恩着せがましく、バラマキをやろうとする。 だがバラマキをやればばらまいた分だけいやそれ以上に(役人の人件費が加わり)税金が高くなり、生活を圧迫するのは確実、何してるこっちゃ分からない。しかし、学歴税ならば、@ 学歴に課税することで痛みを与え、A 無用の学歴取得を抑止する、B その分教育コストを削減する。

国民を不幸のどん底に突き落とすのは、格差でもなければ、学力低下でもない。第1章でも述べたが、教育コストの野放図な増大教育ビンボーが国を滅ぼす。今後は格差よりもむしろガクレキをどう始末するかが課題となろう。

生活向上のためには、賃上げよりも、生活の無駄をなくす教育コスト削減が有効である。

子供の教育にやたら金をつぎ込む教育ビンボーそれが教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、年金・医療制度を崩壊させる。 国家そのものがサムライ商法に乗っ取られ食い潰されて行く韓国のようになって行くそれが悪性格差である。

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになっても、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、金の力にモノを言わせ、さらにその上を行くものである。 結局のところ、やたらと高学歴化を進め社会全体の教育コストを増大させるばかりで、平等は実現できない。

学歴税は、国家財政に一切負担をかけずに、各家庭の教育コストを削減し、少子化問題を解決する優れた税である(それで倒産する大学が出て来るかも知れないが、それは一般企業では普通に行われている新陳代謝である)。 特記すべきは学歴税が引き金となって学歴封建体制が崩壊し、生涯学習社会への移行が起こる、社会の相転移が起こる、これこそが本当の革命である。

なぜそうなるのか、逆に言うとなぜ今までそうならなかったのか、それはコスト管理のやり方に問題があるからである。 それはどういう事か、次に詳しく説明しよう。

増大する教育コストが、賃金体系を歪め、少子化・年金問題を引き起こし、ありとあらゆるムダ・矛盾の根源となり、日本経済に甚大なる被害を及ぼしているわけで、いいかげんそれをやめさせるという議論があって然るべきである。

さらに国家レベルでコスト削減=生産性向上が進み、育児・教育にかかる国民の実質的負担も軽減されるだろう。お受験などムダなものをいっさい省き、読み書きそろばんの基礎だけしっかりやれば、親の負担も子供の負担も半減する。そうすれば子供1人分のコストで、2人育てられる計算になる。

イメージとしては、病院が発行する各種検査結果や、レントゲン写真といったものであろうか。そういう評価ならコストをかけるだけの価値はある。病院がおまえの健康度は2だと評価しても「2」という数字だけで具体的な内容が分からなければ、患者は何をどうすれば良いのか分からない。

手間暇コストをかけて通知簿を作成し、悪い成績を親に通知し、親を怒らせる事に成功したとしても、それで学力が向上するわけではない。

競争させるにしても競争にかかるコストというものを常に意識すべきである。コスト意識ゼロ、奴隷はいくら使ってもタダ、穴掘りでも、丸暗記でも、ボランティアでも、何でも良いからテキトーに競争させておけ―――そんなものは自由競争ではない。それこそ国益を損ねていると言えるだろう。

少子化の原因は、非正規雇用にあると言う説もあるが、非正規雇用を増やした企業が悪いとでも言うのだろうか?子供にかかるコストが「ゼロ」になれば、非正規雇用であっても、いくらでも結婚でき、子供を作れる。

少子化・年金問題解決のためには子ども手当よりも児童手当よりも教育コスト削減が先決である。

このようにして、教育コストをまず削減した上で、さらに次の段階として行う事は(もはや子ども手当児童手当のようなハシタ金ではなく)国家が子供を養う制度である。それをやれば親の負担はズバリゼロとなる。

全額支給されるかどうかわからない、支給されたとしてもハシタ金に過ぎない子ども手当よりも、教育コスト削減の方が、桁違いに規模は大きい、少子化対策としても有効である。まずやるべきは教育コスト削減これを断行すれば、少子化問題は半分以上解決する。

あるいは、塾や家庭教師が必要になり、教育コストが増大するのは、学校(日教組)がちゃんと教育していないからだという批判もあろうが、そのような批判は的外れである。

教育コスト増大―――この問題を解決するには、最終的に頭を冷やす制度が必要である。

前項で私は、奨学金や学割よりも、むしろ逆に「大学に行くと一生学歴税を取られる」社会にすれば「本当に必要な場合以外の」むやみな学歴取得を抑止できる。 そうやって教育コストを削減する。 と鬼のような事を言った。 続けて、教育コストをできる限り削減したうえで「次の段階として」国家がそれを肩代わり、国家が子供を養うようにすれば(子供限定ベーシックインカム)鬼に金棒世界で最も効率の高い、最強の国家が誕生する、とも言った。

精神的虐待まで含めた虐待防止はきわめて困難でコストがかかるものである。 また児童虐待問題が例外的社会のお荷物扱いである限り、それにつけ込んだ差別や不利な扱いもなくならず、すべてにおいて後まわしにされ格差が生じるものである。 この問題を解決できるのは全ての子供を対等に扱う=国家が子供を養う制度以外にない。

一発殴れば済むような躾のために手間暇コストをかけ説得する。 その一方でやらなくていいような点取り競争や試合のために殴りまくり虐待する。 どちらも教育コストを増大させる要因である。

生涯学習社会と言ってもそれは口先だけで、非正規雇用が多数派となった現在では、若者にそのような経済力はなく、大学など永遠に行けなくなってしまうのではないかと心配する人もいるだろう。だがそうはならないと断言する。いまや結婚式も葬式も航空機もコスト削減の時代である、大学にそれが出来ないわけがないのである。

ボーナスどころか給料も出ない。 それは経済的合理性に合わない、コスト割れした間違った競争で、やればやるほど赤字で社会に負担をかけるムダな競争、見栄の張り合いをしているという事だ。

企業はタダだから学歴を採用の基準として利用する。すると、→ 親は子供に投資せざるを得なくなる。→ その投資は客観的・合理的・効率的でない。→ 教育コストは増大する。→ 少子化・年金・財政破綻。という連鎖で、社会・経済に重大な損害を与えて行くのである。

「給料を払わない」のはコスト管理上望ましくない、だから教育にかかるコスト見える化しよう国家が子供を養う制度にはそういう意図もある。

国家が子供を養うシンプルな制度になれば、これらの問題はすべて解決し、事務手続きも大幅に簡素化され、コストダウンにつながる。

教育は個人レベルでの失業問題の解決や、個人レベルでの収入増につながるかもしれないが、社会全体としての失業問題には無力であるし、社会全体の豊かさにつながるかも不明である。社会の発展(生産性向上)に正しくつながれば良いのだが、単なる見栄の張り合い、無意味な学歴獲得競争に翻弄され「ムダな学歴を増やすだけ」に終わるのかもしれない(大層な学歴を持っていても、それを生かせる職業に就く事が出来なければ無意味、むしろプライドが高い分マイナス)。だから教育が失業問題の解決につながるかどうかと問われれば「イエスであると同時にノー」としか言いようがない。むしろ下手に高学歴化してしまうと、教育コストが増大し、少子化が起こり、財政は悪化し、福祉は後退し、それこそ国を滅ぼして行くシナリオも考えられる。

もっとも今も本当にコントロール出来ているかというといささか疑問が残る。教育コストの増大が少子化・年金問題、そして最終的に国家財政の破綻を招くならば、それはコントロール出来なくなって来ている証拠ではなかろうか?人口が維持できないそれは最も基本的かつ重大な問題である。

大学・受験産業は、ガキ相手にサムライ商法殿様商売して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

教育コストの増大は、少子化・年金問題を引き起こし、国家財政を破綻させ、国民をますます苦しめる。

ボランティアだってコスト意識を持つ必要がある。 臨教審でもボランティアを主張する者もいたが、そもそも兵役かボランティアか知らないが、その間誰が給料を支払い養うのだろうか? ボランティアを主張する連中には、そのような視点が欠けている。 このように若者本人や彼らを養う親の負担を増やすだけ若者の自立を遅らせるだけ徴用は、国家にとって一見美味しそうだが、実はタダほど高いものはない。

教育コスト削減こそが本当の少子化対策、正しく機能する社会保障こそが国家が存在する意義である。

一定のレベルを保証するという意味での資格は良いのだが、これを新規参入の障壁にしてはいけない。 なぜならそうなってしまうと、やたら難しい「試験のための試験」と化し、教育コストの増大を招き、それが巡り巡って利用者の負担となるからである。

教育コストの増大は賃金高騰、国際競争力の低下を招くだけでなく、試験制度に翻弄され人生を狂わせる者まで出て来る。 犠牲者を減らすためにも暴落させた方がよい。

そもそもなぜTPPに反対するのか、日本の農業だって決してアメリカに負けないはずである。 もしアメリカに負けてしまうとしたらその原因は何か? その1つに無駄に教育コストが高いというのがある(いまや百姓もサムライムスコを大学に行かせるのに必死である)

何せ日本の賃金は世界一(ベトナム人の何倍もらっているのだ!)死ぬほど働いてもらわないと元が取れない。それがブラック企業の言い分、残念ながら彼らにも一理あると言わざるを得ない。では一番悪い奴は誰か?それは教育コストを増大させ少子化の原因を作ったサムライ商法である

形だけで中身のない労働者保護賃上げよりも、本当に有効なのは、@ 親の負担軽減(教育コスト削減)A 親子の経済的分離(国家が子供を養う)B 転職しやすい、身軽で風通しの良い社会(雇用の流動性)

そもそも受験競争は自由競争なのか、それとも階級闘争なのか?それは本書がまえがきで提起しているテーマである。教養を高め国を発展させて行くのなら良いのだが―――実際にはくだらない丸暗記やいじめ差別が蔓延るばかりで、肝心の思考力が育たず世のためになっていない(もはやAI以下、AIが進歩して仕事を失うのではなく、人間が劣化してAI以下になる事で仕事を失う「教科書が読めない子どもたち」新井紀子著)。さらに野放図に増大を続ける教育コストは、社会に歪みを作り出し、社会の発展を阻害し、教育貧乏になって行くばかり―――そういう事は止めさせないといけない。

(学者は絶対言わないが)ブラック企業をなくす最終兵器は無理して働かなくてもよい社会にするそのために真っ先にやること、それは「教育コスト削減(大学リストラ)」である。

だから我が国はまた別の方法を考えればよい。 おすすめは教育コスト削減つまりサムライ商法をぶった切るそれですべて解決するのである。

長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには教育コスト削減が効果的である「子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!」過労死も少子化も、すべては無理が祟っているのである。

ではここで、うまく行かなくなって来ているのはなぜなのか「透析患者は殺せ」などという人が出てくるのはなぜなのか、その原因を考える必要がある。それはサムライ商法が国民からカネを搾り取り(教育コストを増大させ)急激な少子高齢化を引き起こしているから―――つまり穴が開いているわけである。

主導権とはどういう事か、一般企業は、経済情勢を常に意識しながら、金儲けしているが、大学・受験産業は、教育コストが親の負担になり、少子化が起こり、国が滅んで行こうが、まったくお構いなしに高学歴化を進めようとする。

社会の衰退を引き起こすボトルネックとは何か? 少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は教育コスト増大にある。 つまり一言で言うとお前ら学者こそがボトルネックになっているその現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

金持ちの息子が全員大学に行くようになればその費用捻出のため弱い立場にある貧乏人は搾取される(すべての大家が息子を大学に行かせるようになれば家賃は値上げされるなぜなら息子を大学に行かせない大家がいなくなる事で価格競争が無くなるからである)。 ※ このような「搾取=コスト転嫁」は大家と借家人との間だけでなく、資本家と労働者、社長と従業員、大企業と下請け等すべての階級間について言える事である(★教育投資の聖域化・合理性の喪失)。

そもそもガクレキを特別扱いする事自体が間違いの元である。 ガクレキも他の資産・投資と対等に扱い天秤にかけ「効率を検証」すべきであり、対等に比較・課税してこそ初めて健全な投資が可能である(★教育投資の相対化・合理性の回復

交通遺児は気の毒だが、人の不幸など様々で、それこそ星の数ほどあるといってもよいだろう。 なのに交通遺児を救済しただけで平等が実現できた公正な競争条件が確保されたと考えたら、それは欺瞞ではなかろうか?

まず、【手順1】についてだが、これは親のすねをかじって大学に行くという事にブレーキを掛け「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」を社会のルール・競争条件にすることだ。 そうすれば子供が2人いようが3人いようが「それぞれ自分で稼いで」大学に行くわけだから親に負担はかからない。

国家が子供を養うと言っても国の予算だって無限ではない。何も考えずにばらまいたら一発で財政破綻するだろう。その前にやるべき構造改革がある。それが前項で述べた親のすねをかじって大学に行く事をやめさせるということだ。「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」を社会のルール・競争条件にすることだ。

自民党・財界の主張するBつまり雇用の流動性にしても、親の負担軽減つまり@Aが前提ではなかろうか(それを飛ばすから批判されるのである)

終身雇用を前提に社会制度を考えてはいけない。 ガクレキ、資格さえ取れば、あるいは正社員になれば一生安泰なんて世界は(たとえそこに試験制度が組み込まれていたとしても)能力主義ではなく身分制度である。

さてそのような観点から教育というものを再度検証してみると余剰労働力の吸収体雇用調整機関としての学校は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。

それに金と時間を費やす事で新たな雇用が生まれる。つまりこれら生存に直接関係しないムダが社会を調整してくれているわけである。

非正規雇用が多数派となればなったで、社会はそれに適応して行くものである。 この期に及んで正社員を増やそうとか、年功序列を復活させようとか、時代の流れに逆行する様な事をしても、事態を余計に悪化させるだけである

日本を蝕んでいるのはガクレキ封建体制だけではない。産業・技術の空洞化海外移転という重大な問題がある。だが実は、この問題もガクレキ封建体制と裏で繋がっているのである。その事について詳しく述べよう。

問題は学力低下ではなく、空洞化によって、優秀な人間がものづくりに向かわず、株やギャンブルなど、よからぬ方向に行ってしまうことだ。

空洞化の原因は高すぎる賃金にある。 さらに突き詰めると、年功序列賃金や毎年繰り返される春闘に行き当たる。 そしてその背景には、かさむ教育費、親のすねをかじって大学に行くガクレキ封建体制=学歴差別がある。

空洞化の原因は高すぎる賃金にある。 さらに突き詰めると、年功序列賃金や毎年繰り返される春闘に行き当たる。 そしてその背景には、かさむ教育費、親のすねをかじって大学に行くガクレキ封建体制=学歴差別がある。

つまり高学歴化による教育コスト増大、賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

【手順2】国家が子供を養う制度にする(子供限定ベーシックインカム) ※ 【手順1】【手順2】の順番は重要である。 【手順1】をやらないで先に【手順2】をやると、それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ、彼らを儲けさせるだけの結果に終わるから要注意である。

だがさらに(ここからが重要なのだが)国家が子供を養う制度には別のメリットがある。国家が子供を養うようになれば、当然国家が予算を管理するわけで、少人数学級や、習熟度別、個別指導、IT技術の活用など、本当の意味での効率化が図られる事になる。なぜそうなるのか、逆に言うとなぜ今までそうならなかったのか、それはコスト管理のやり方に問題があるからである。 それはどういう事か、次に詳しく説明しよう。

増大する教育コストが、賃金体系を歪め、少子化・年金問題を引き起こし、ありとあらゆるムダ・矛盾の根源となり、日本経済に甚大なる被害を及ぼしているわけで、いいかげんそれをやめさせるという議論があって然るべきである。まず一に、学歴に課税し、見栄メンツ横並び意識による安易な学歴取得にハドメを掛けろ、そして二に、国家が子供を養う制度(子供限定ベーシックインカム)を導入し、親の負担をゼロにせよ、それが本書の主張である。

国家が子供を養う制度になれば、給食費滞納問題も一発で解決する。そもそもなぜ教師が給食費を集めなければならないのか?教師は子供に勉強を教えるのが仕事だ。滞納云々以前に「集金で教師や校長を煩わせる」それ自体が生産性の低下である(カネを集めるのは税務署のプロに任せておけばよい)

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。親は子供を作るだけになれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列や終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。

ついでに言うと、国家が子供を養う制度になれば、有給休暇も要らなくなる。我が国は欧米に比べ、有給の消化率が低いなどと言われるが、有給だからこそ休みにくいという側面がある。そもそも有給休暇が必要なのはなぜなのか、なぜ「無給休暇」ではダメなのか?あなたは考えたことがあるだろうか?その理由は、@オヤジの給料には「子供を養い大学に行かせる分(繁殖費)」が含まれており、Aそれが賃金相場となっているからである。

国家が子供を養う=親子の経済的分離これを行う事により、@ 親は子供を養い大学に行かせる重荷から解放され、A休みやすい身軽な社会が実現する。これは社会の安全性を高め、なおかつ生産性を向上させる、合理的制度である。

躾にしても、どこまでが愛のムチでどこからが虐待なのか、法律で規定するには限界がある。しかし子供が保護者を選択できるようになれば、自由競争の原理が働き、一定の緊張感が生まれ、自ずと適正な範囲に収まるだろう。そのためには、「親が子供を養う」封建制度をやめ「国家が子供を養う」近代的制度に切り替えればよい。

@ 国家が子供を養い子供が保護者を選択する。A 親は子供を作るだけ。B 大学に行きたけりゃ自分で稼いで行け!この3つが揃えば親の負担ゼロとなり、少子化問題も虐待問題も年金問題も一発で解決である。

【手順1】学歴税(マトリクス累進型所得税)を導入し、安易な学歴取得を抑止する。 学歴も一種の財産とみなし課税する。 そうすることで社会の役に立つ有用な学歴のみが生き残る。 教育コストを削減し真に平等で弱者に優しい社会を実現する。以上をまず実施した上で、さらに、次のステップとして、【手順2】国家が子供を養う制度(子供限定ベーシックインカム)を、私は提案する。

国家が子供を養うと言っても国の予算だって無限ではない。何も考えずにばらまいたら一発で財政破綻するだろう。その前にやるべき構造改革がある。それが前項で述べた「親のすねをかじって大学に行く事をやめさせる」ということだ。「大学行きたけりゃ自分で稼いで行け!」を社会のルール・競争条件にすることだ

国家が子供を養う制度においては、見栄の張り合い・ムダな競争・虐待が防止できるほか、子供にも人件費という概念が導入される。これにより教育の分野でもコスト管理がなされ、無駄を省き生産性を向上させることが出来る。

このようにして、教育コストをまず削減した上で、さらに次の段階として行う事は(もはや子ども手当児童手当のようなハシタ金ではなく)国家が子供を養う制度である。それをやれば親の負担はズバリゼロとなる。

さて、先ほど私は教育コスト削減を断行すれば少子化問題は半分以上解決すると述べた。 では残りの半分は? それは国家が子供を養う制度である。 教育コストをできる限り削減した上で、さらに国家がそれを肩代わり、国家が子供を養うようにすれば(子供限定ベーシックインカム)鬼に金棒、世界で最も効率の高い最強の国家が誕生する。

前項で私は、奨学金や学割よりも、むしろ逆に「大学に行くと一生学歴税を取られる」社会にすれば「本当に必要な場合以外の」むやみな学歴取得を抑止できる。 そうやって教育コストを削減する。 と鬼のような事を言った。 続けて、教育コストをできる限り削減したうえで「次の段階として」国家がそれを肩代わり、国家が子供を養うようにすれば(子供限定ベーシックインカム)鬼に金棒、世界で最も効率の高い、最強の国家が誕生する、とも言った。さらにこの政策は教育の機会均等という観点からも、全く問題ないどころか、むしろ望ましいものである事にも言及した。 これらは明確な思想に基づくものである。

さらに、話には続きがある。 国家が子供を養う制度になれば、そこに資本が参入し、老人ホームならぬ子供ホームが増え充実する。現行の児童相談所は、重度の肉体的虐待を救済するのが精一杯であるが、子供ホームが充実し一般化すれば、精神的虐待も含め、すべての虐待に対応可能となる。学歴税および国家が子供を養う制度は、少子化・年金問題を解決するだけでなく、虐待問題をも解決するのである。

私が学生の頃は、母親の過干渉が原因で、強迫神経症という一種のノイローゼになっていたが、そういう場合も国家が子供を養う制度であれば、引き離す事が容易になる。

子供が保護者を選択するこれを可能にするのが「子供限定ベーシックインカム」である。 大人のベーシックインカムは何かと問題が多く私は反対なのだが、子供限定ベーシックインカムは充分に実現可能であり有用である。

例外的社会のお荷物扱いも、また差別・虐待を生み出す。やるならすべての子供を対象にベーシックに国家が子供を養うようにすべきなのだ。

ならばいっそ、すべての子供を対象に国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカムを導入すればどうだろう。どうせやるなら―――すべての子供を国家が養うようにし、さらに子供が保護者を選択する親権バウチャー制度にすれば良いのである。そうすれば親の負担は激減すると同時に、競争原理が働きしつけ・懲戒も含めすべては常識的範囲に収まる。

ゴチャゴチャした「小難しい権利」建前・キレイゴト・絵に描いた餅はいらないから、 @ 国家が子供を養い子供が保護者を選択する「セレクタブル親権」 A 子供にムチ(親権)を選択させる B 親権にも自由競争、市場原理 それが最もシンプル、我が国に適したやり方である。

※ 「給料を払わない」のはコスト管理上望ましくない、だから教育にかかるコストを見える化しよう国家が子供を養う制度にはそういう意図もある。

それよりも、日本が抱えるほとんどの問題は、ガクレキ封建体制をはじめとする封建的風土による風通しの悪さに起因しておりガクレキ封建体制を破壊し、@国家が子供を養い、A子供が保護者を選択する、B子供はそれぞれ自分の稼ぎで勝手に大学に行く、生涯学習社会に移行し、親も学校も会社も、嫌ならいつでも交換できる「身軽な社会」になれば、自由競争の原理が働き、規則にしても厳しさにしても、自ずと適正な範囲に収まる。

まったく変な法律をゴタゴタ作るばかりで実効性がまるでない何やってんだバッカじゃねえのとしか言いようがない。国家が子供を養うシンプルな制度になれば、そんな問題は一発で解決する。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc.....プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる(小さな政府)。

ただ国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカムには、1つ問題点がある。 すべての子供に生活費を支給したとして、そこで親はどうするか、それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせる結果に終わる。 これでは従来のバラマキと変わらない。 だからそれを止めさせ正味少子化対策に向かわせる、それが学歴税である。

形だけで中身のない労働者保護賃上げよりも、本当に有効なのは、@ 親の負担軽減(教育コスト削減)A 親子の経済的分離(国家が子供を養う)B 転職しやすい、身軽で風通しの良い社会(雇用の流動性)

第1ステップとして「学歴税(マトリクス累進)」を導入しガクレキ封建体制を破壊するさらに第2ステップとして「国家が子供を養う(子供限定ベーシックインカム)」を導入する。 この手順を踏まえれば、親の負担は激減、生産性は飛躍的に向上し、少子化・年金、その他日本が抱える諸問題は、すべてきれいに解決する。

「子供はみんな同じではありません」という事を示すために(差別化)1人1人競争させ順番をつけるような教育を行い(序列主義)それが自由競争であり、そのような教育に反対する者は共産主義者であると決めつけ戦ってきた。 テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨクの平等論や無限の可能性論がある

本物の差別とは、体制維持のために(身分制度や格差を維持正当化するために)政治的に作り出されたものであり「部落とガクレキ」がそれに該当する。 そのうち、いまだに現役なのが、ガクレキである。

これまでは、差別というと「何でもかんでも差別差別」と拡大解釈される傾向があり、さらにそれが利権に結びつき、過去の差別をことさら強調する傾向があった。 だが本書の定義は、きわめて限定的である。 ただ特記すべきは、その「限定的定義」の中に「これまで差別とされてこなかったガクレキ」が含まれている点である。

学校増設も、入試改革も、学歴差別の本質的解決にはならない。 土地・財産同様、課税する事で学歴差別は死滅するのである。

つまり「学歴」とは「能力主義を装った身分制度」であり、最も巧妙で悪質な差別なのだ。

空洞化は学力低下によって起こるのではなく、学歴差別によって起こる。出現した新たなカースト=ガクレキ、その差別を恐れるあまり、猫も杓子も大学を目指し、教育コストが増大し賃金が高騰し、それで空洞化が起こる。

結果として「プログラマなんて価値の低い下流の仕事」「外注管理している俺たちの方が偉いんだゾー」このように政治家の無責任な発言の結果、ついには職業差別までもが生み出される。

@ いかにして自分の息子に英才教育を施し、他と差別化するか、A いかにしてよその子供の足をすくって倒すか、それしか考えない。 これを(本書では)大奥の原理と名付ける。

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、塾だとか家庭教師だとか、カネの力にものを言わせ、さらにその上を行くものである(子供の塾通いのために自家用機だって飛ばすのだ)また新たな差別化手段「エリート名門」が生み出されるだけである。

金持ち特権階級にしてみれば、ガクレキとはあくまでも差別化の道具である(身分制度が廃止され相続税をガッポリ取られれば残るはもうガクレキしかない)そのために、かつてはスパルタ英才教育があったわけだが、詰め込み教育には弊害が多くもう限界、そこで金持ちの学力を上げるのではなく貧乏人の学力を下げるというのが新たな差別化手段として浮上してきた、それがいわゆるゆとり教育である。

「例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。

精神的虐待まで含めた虐待防止はきわめて困難でコストがかかるものである。 また児童虐待問題が「例外的」「社会のお荷物扱い」である限り、それにつけ込んだ差別や不利な扱いもなくならず、すべてにおいて「後まわし」にされ格差が生じるものである。

はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り「子供はみんな同じだ」なんて事になったら共産化して行くと恐れた)

テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨク平等論無限の可能性論がある

むしろ皮肉なことに「人間は平等だ」「生まれつきの頭の良し悪しなどあるはずがない」と左翼的平等論的な考え方を持っている人ほど、それが逆に仇となって「だから勉強が出来ないのは努力が足りないから」という事になり、努力しなかったのだから「差をつけられて当然」という事になる。

左翼は「固定資産税」で「金持ちブルジョア」を攻撃しているつもりだろうが、これは結局、家賃という形で労働者に跳ね返って来るだけである、むしろ「学歴税」の方こそ早急に導入すべきなのだが―――高学歴インテリの左翼にそれを言ってもムリだろうか?

それは基本的に保守派左翼も同じ、権力を握れば人間皆そうなるのである。

左翼は「みんなが大学に行く平等社会」を作り出す事で「カネモチ特権階級」を追い詰めているつもりだろうが、実際に追い詰められているのは貧乏人の方である。

左翼のやり方では平等は実現できない―――それは単に思慮が足りないおバカさんだからなのか、それとも本当は平等なんて真面目に考えてなくて、革命を起こし権力を握るまでの方便として、平等・人権・平和・反核を利用しているだけなのか、良く分からないが―――いずれにせよ左翼のやり方では平等は実現できない。

さて20世紀は、米ソ両陣営がしのぎを削る冷戦の時代であった。教育においても平等論を唱える左翼と、英才教育を唱える保守派が激しく対立し、受験戦争が勃発し子供は殴られていた。

育児休業に限らず、サヨクの考えるような「バラマキ」では、少子化問題は何1つ解決しない。だが一方で保守派の中には、年金制度そのものを「社会主義的である」と批判し「年金制度を廃止し『頼るのは子供しかない』状況を作り出せば少子化問題は解決する」と主張する者もいるがどうだろうか?たしかに社会保障が完備していない途上国では、少子化どころか人口爆発が起こっている。しかしこれにも落とし穴がある事は指摘しておこう。

これは家族制度の根幹に関わるという点で(単に「体罰反対」を叫ぶだけの左翼よりも)むしろ過激で革命的と言えるだろう。

左翼の卑屈な平等論もダメだが、一方で競争競争とバカの1つ覚えみたいに、格差を作り出す事ばかり考えている保守派もダメである。

保守派の人たちは「左翼平等論」を批判する、たしかに「悪平等」は良くないだろう。だが競争というのもまた難しい、そもそも「人間のすべての能力を数値化できる神の物差し」は存在するのか?

とはいえ、私はいわゆる「サヨク平等イデオロギー」を支持しているわけではない、平等論やバラマキでは、この問題は解決できない。 火に油を注ぐだけである。

みんなが大学に行く「平等社会」を目指すサヨク、その平等論は、理想としては素晴らしいが、やり方がまずいと言わざるを得ない。

ガクレキ社会の目的は2つある。 1つはいま先ほど述べた「金持ちの相続税対策」そしてもう1つが「国民に劣等感を植え付け支配する道具=身分制度の代用品」これは平等論を唱え革命を狙っているサヨクに対抗するためのものである。 とはいえこれも今となっては陳腐化し(いまだに学歴かよ〜)国民を苦しめるばかりである。

学歴税―――これぞまさしくガキの英才教育を唱える保守派ガキの平等を唱える左翼も、右も左も誰も言わない日本社会のタブーである。

「私どもが『○○士』に合わせて作った資格で、受講さえしていただければ試験はありません。いえ忙しければ30万円の教材さえ買って頂ければ自宅自習でもいいですよ」

サムライ商法に引っかかるのはバカな金持ちだから放っておけばよいと言う人もいるが、はたしてそうだろうか? 金持ちが出資する会社で働いているあなたも、金持ちから家を借りているあなたも、みんな間接的に搾り取られているのだ。 野放図に増大する教育コストは、重大な社会・経済問題である。

「大学に行かないとロクな仕事に就けないよ」「ますます格差は広がるだろう」とか言って恫喝するのが、サムライ商法の常套手段、そうやってカネを搾り取るのである。

むしろ今後は格差社会をネタにカネをゆすり取るサムライ商法の方こそ気をつけるべき、いま問題なのは格差よりも教育ビンボーである(「中流を増やせ!」は中流に寄生するサムライ商法の主張でもある)。

前項でも触れたが「格差社会」を脅しにやたら高学歴化を煽るのが、サムライ商法の常套手段である。

子供の教育にやたら金をつぎ込む教育ビンボーそれが教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、年金・医療制度を崩壊させる。 「国家そのものがサムライ商法に乗っ取られ食い潰されて行く」「韓国のようになって行く」それが悪性格差である。

金持ち税(富裕税)というと聞こえは良いが、結局それは家賃や商品の価格に転嫁(上乗せ)され、最終的に(弱い立場の)貧乏人に跳ね返って来るものである。これはいわば金持ちが構築した搾取集金システムの「その上」に、さらに非効率な役人学者=サムライ商法が乗っかって来る事を意味し、貧乏人はますます搾取される。

なぜいじめなんかするのか、なぜ自殺なんかするのか、それは端的に言うと学校が面白くないからである。なぜ面白くないか、それは「人にレッテルを貼りランク付けする」学歴ビジネスサムライ商法)が幅をきかせているからだ。

彼らはこれまで「日教組的悪平等=共産主義の恐怖」を巧みに利用して来た。だが冷静に考えて「学歴」「お受験」の問題は「競争か平等か」「資本主義か共産主義か」といった大層なイデオロギー問題ではなく、単なるサムライ商法の問題である。

そもそも子供が、イジメや理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。

体罰をなくそうとかのキレイ事タテマエ論もこの際どうでも良い。 時間の無駄である。 それより「サムライ商法をぶちのめす」事が先決である(体罰禁止のポーズはサムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)。 サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)たかが学校と客観視する姿勢が重要である。

何せ日本の賃金は世界一(ベトナム人の何倍もらっているのだ!)死ぬほど働いてもらわないと元が取れない。それがブラック企業の言い分、残念ながら彼らにも一理あると言わざるを得ない。では一番悪い奴は誰か?それは教育コストを増大させ少子化の原因を作ったサムライ商法である

ヨーロッパ諸国は莫大なカネをかけ福祉の力で「無理して働かなくてもよい社会」を作り出しているのである。 もっともそれには弊害もある(英国病になってしまう)だから我が国は「また別の方法」を考えればよい。 おすすめは教育コスト削減つまりサムライ商法をぶった切るそれですべて解決するのである。

かつてマルクスが資本論で述べた「資本家と労働者の対立」はもはや過去のもの、むしろ現代は「資本家の搾取」よりもサムライ商法に搾り取られないよう気をつけるべき(2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!)格差格差と騒いでいる学者が一番クサイ

それよりも社会が発展し充分豊かになれば「格差なんかどうでも良くなる」それが本当の共産主義。 格差に固執してはいけない「格差よりもサムライ商法に気をつけろ!」それが本書のスタンスである。

そもそも女性はなぜ、子供を預けてまで働こうとするのか、それは「子供を大学に行かせるための貯金」である。つまりばらまいた「補助金=我々の納めた税金」はそのまま「サムライ商法=大学・受験産業」に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない

そもそもなぜTPPに反対するのか、日本の農業だって決してアメリカに負けないはずである。 もしアメリカに負けてしまうとしたらその原因は何か? その1つに無駄に教育コストが高いというのがある(いまや百姓もサムライムスコを大学に行かせるのに必死である)

国家が企業に正社員を増やすように圧力をかけるのは間違っている。 それは本来国が行うべき社会保障を企業に押しつけているに他ならない。 とはいえこれまで国の社会保障はうまく機能していなかったではないかという批判もあろうが、だったら原因を考える必要がある。

国の社会保障がうまく機能しなくなって来ると、保守も革新も大家族を復活せよとか正社員を増やせとか主張するが、それは無責任、そもそもなぜ社会保障がうまく機能しないのか、その原因を考えずに家族や企業に社会保障を押しつけてもうまく行かない事に変わりはない。

少子化対策とか称してカネをばらまいても「それで浮いたカネ」が大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせるだけの結果に終わる「全然少子化対策になってない」こんな事をしていたのでは、社会保障がうまく機能しなくなるのは当たり前である。

低賃金でも不安定な仕事でも、それを世の常としそれでも充分に子孫繁栄できる身軽な社会を構築する教育コスト削減こそが本当の少子化対策、正しく機能する社会保障こそが国家が存在する意義である。

終身雇用を前提に社会制度を考えてはいけない。 ガクレキ、資格さえ取れば、あるいは正社員になれば一生安泰なんて世界は(たとえそこに試験制度が組み込まれていたとしても)能力主義ではなく「身分制度」である。

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。 「親は子供を作るだけ」になれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列や終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。

企業が「一流」であるか、その基準は「平均学歴」でも「平均賃金」でも「年功序列」でも「安定」でも「終身雇用」でもなく「週休3日制」となるだろう。

本書は教育投資そのものを否定しているわけではない借金したり少子化を引き起こしたりしてまで高学歴化するのは本末転倒であると問題提起し「持続可能な社会(SDGs)」を目指すものである。(そのためにはサムライ商法から主導権を取り返す必要がある)

主導権とはどういう事か、一般企業は、経済情勢を常に意識しながら、金儲けしているが、大学・受験産業は、教育コストが親の負担になり、少子化が起こり、国が滅んで行こうが、まったくお構いなしに高学歴化を進めようとする。

少子化が原因でパイが縮小し、一般企業が倒産する事はあっても、大学が倒産する事はまずない。少子化の原因が教育コスト増大にある事を考えれば、大学や受験産業こそ真っ先に痛みを感じるべきであるが、彼らがそれを感じるのは最後である。これは教育だけが「特別扱いされ」「世界の中心」主導権を握っているからであり、良くない事である。

生涯学習社会に移行すれば、その様な事はなくなり「興味を持ったらすぐ学べる」タイムリーな対応が可能となる。 さらに生涯学習社会においては科目単位の切り売りが主流となる(なぜなら転勤のある社会人にとっては、大学も転校可能でなければならないからである)。 利用者(お客様)が主導権を取り返すとはこういう事である(単位互換)。

増大する教育コストが、少子化年金問題を引き起こし、今や日本は破滅に向かいつつある。 いかにしてそれを食い止めるか―――それが本書のテーマである。

極論を言えば子供手当や児童手当なんか別になくても、すべての子供が中卒か高卒で一旦就職する社会になれば、親の負担は激減し、それだけで少子化問題は快方に向かう。 大学に行きたければ自分が稼いだカネで働きながら行けばよろしい。 そのようなルールが社会に確立されれば少子化問題だけでなく、その他の日本社会が抱える歪み・矛盾・非効率もすべて解決し、生産性も向上し、日本は非常に強力な国家になるだろう。

前項では、教育コストの増大に比べれば、児童手当も子供手当も焼け石に水、所詮はバラマキに過ぎないと説いた。 教育にカネがかかりすぎる。 だから児童手当それ以前に、教育コストをまず削減する事こそが、少子化問題解決につながるというのが、本書の主張である。

少子化年金問題も、すべてはガクレキ封建体制にトドメを刺すことで解決できる社会がワッと明るくなると言ってよい。

「天は人の上に人を作らず」の言葉とは裏腹に、東大を頂点とする学歴ピラミッドが形成されてきた。 そして高学歴社会=増大する教育費のおかげで、国民生活はますます苦しくなり、国の借金は増え続け、少子化年金制度破綻の危機に陥っているのだ。

つまり高学歴化による教育コスト増大、賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化・海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

@ 学歴に課税することで痛みを与え、A 無用の学歴取得を抑止する、B その分教育コストを削減する。 こうすれば国民に一様な税負担は生じず、少子化対策としても数十倍効果的である。

例えば少子化対策税とやらを作ったとしよう。すると一様に税金が高くなり、国民の負担は増す。※ 政治家は恩着せがましく、バラマキをやろうとする。 だがバラマキをやれば「ばらまいた分だけ」「いやそれ以上に(役人の人件費が加わり)」税金が高くなり、生活を圧迫するのは確実、何してるこっちゃ分からない。しかし、学歴税ならば、

だいたいオムツやミルクを無料にして、それで国民を騙せるとでも思っているのだろうか? 子供を大学に行かせるのにどれだけ金がかかると思っているのか?

それよりも「無用な学歴取得を抑制する」その方がはるかに親の負担は軽減し、少子化対策として有効である。

だが低成長時代の現在では、終身雇用・年功序列が崩壊し「教育ビンボー」は少子化に直結する。 そして少子化年金制度を破綻させる。年金制度が破綻して行き着く先は姥捨て山だ。 それは国家が滅びるに等しい。

もう一度言う、2割の富で8割の人間が「とりあえず食って行ける」のなら格差なんか別にどうでも良い、革命など馬鹿げている、それよりも「誰もが上流を目指しムリをする」「的外れな努力を重ね消耗する」教育ビンボー、それが引き起こす「少子高齢化」「年金医療の崩壊」こちらの方がはるかに怖い。

子供の教育にやたら金をつぎ込む「教育ビンボー」それが教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、年金医療制度を崩壊させる。 「国家そのものがサムライ商法に乗っ取られ食い潰されて行く」「韓国のようになって行く」それが「悪性格差」である。

学歴税は、国家財政に一切負担をかけずに、各家庭の教育コストを削減し、少子化問題を解決する優れた税である

この手順により、親の負担は「ゼロ」になり、少子化年金問題も一発で解決する。これは日本国民のありとあらゆる階層に利益をもたらす制度といえよう。

増大する教育コストが、賃金体系を歪め、少子化年金問題を引き起こし、ありとあらゆるムダ・矛盾の根源となり、日本経済に甚大なる被害を及ぼしているわけで、いいかげんそれを「やめさせる」という議論があって然るべきである。

いずれ自然崩壊するのかもしれないが「自然」に任せていたら、それこそ少子化と財政赤字によって「国家の方が先に崩壊する」のではないか? 私が恐れているのはそこである。 結論は1つ、学歴税を導入し、人工的に破壊する(トドメを刺す)ことだ。

少子化問題の根源は「子供にカネがかかりすぎる」これは誰もが認めている事実であり、だからこそ与野党を問わず子ども手当児童手当といった政策が出て来るのである。だが残念ながら、それだけでは解決しない、その背後にはもっと根深い問題がある。

そもそも「遊興費」はダメで「教育費」なら良いのか?教育費の方こそ底なし沼ではないのか?本気で真剣に少子化対策を考えるのなら「遊興費」如きを目の敵にするのではなく教育コスト削減つまりは子供を大学や塾に行かせなくて済む社会を構築するのが本道である。

つまり育児休業制度を「フル活用し」「その威力を存分に発揮させる」ためには、前提として「大企業か役所」に就職していなければならない。そして大企業か役所に就職するためにはやはり一流大学でないとダメだという事になり、ますます教育にカネがかかり、少子化が進む全然少子化対策になっていないと言えよう。

そもそも問題の本質は何なのか? 年功序列のオヤジが「何人もの」ムスコを大学に行かせる「家父長制度・ガクレキ封建体制」これではいくらカネがあっても足りない。 春闘も賃上げも焼け石に水、オヤジは教育費を稼ぐため過労死し、少子化年金問題を引き起こす。 それだけ無理をしているわけである。

少子化・年金問題解決のためには子ども手当よりも児童手当よりも教育コスト削減が先決である。 そして、教育コスト削減のためには、まず「子供を安易に大学に行かせない」事である。

最も有効で弊害のない手段は課税である。 「大学に行くと一生、学歴税を取られる」社会にすれば「本当に必要な場合以外の」むやみな学歴取得を抑止できる。 そうやって「教育コスト」を削減する。

全額支給されるかどうかわからない、支給されたとしてもハシタ金に過ぎない「子ども手当」よりも、教育コスト削減の方が、桁違いに規模は大きい、少子化対策としても有効である。

企業はタダだから学歴を採用の基準として利用する。すると、 → 親は子供に投資せざるを得なくなる。 → その投資は客観的・合理的・効率的でない。 → 教育コストは増大する。 → 少子化年金・財政破綻。 という連鎖で、社会・経済に重大な損害を与えて行くのである。

大学・受験産業は、ガキ相手にサムライ商法殿様商売して教育コストを増大させ、あげく少子化年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

少子化対策とか称してカネをばらまいても「それで浮いたカネ」が大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせるだけの結果に終わる「全然少子化対策になってない」こんな事をしていたのでは、社会保障がうまく機能しなくなるのは当たり前である。

長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには教育コスト削減が効果的である「子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!」過労死少子化も、すべては無理が祟っているのである。

少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は「教育コスト増大」にある。 つまり一言で言うとお前ら学者こそがボトルネックになっているその現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

というのもバカな金持ちが大学に行く事によって教育コストが増大し「その費用捻出のため」弱い立場にある貧乏人は搾取され少子化の原因となる。 優秀かどうか以前に貧乏人は生まれる事すらも出来なくなる、それが少子化問題の本質である。

バカな金持ちが大学に行き「学者を食わせるための肥やし」になろうが、企業は評価しないだけであり、本来はどうでも良い話だが、その為に貧乏人が搾取され少子化を引き起こすとなれば話は別である。

学歴に課税すれば―――若者の多くは考え直す。 そして、@ 長い間親のすねをかじって大学に行った者がエラくて、A 早く社会に出て働いた者がバカにされる、B「働いたら負け」のニート的「ガクレキ封建体制」が崩壊する。これにより、若者の自立が早まり社会が健全化する。 もちろん自立した後も勉強は必要である。 ただ激動する現代において、知識はすぐ陳腐化する。 何十年も前の知識や、丸暗記しただけの知識では役に立たない、ガクレキ封建体制は効率が悪すぎる。 今後は、若者の自立とともに、生涯学習社会への移行が本格化する。

たとえ貧乏人が、募金その他の救済制度の力を借り、大学へ行けるようになったとしても、その頃はもう既に金持ちは大学院に行っている。「親のすねをかじって大学に行った者」に課税し一考を促す「生涯学習社会へ移行させる」それが先決である。「働きながら学ぶ事がごく普通の生涯学習社会」では「あしなが募金」なんてもともと不要である。

課税すれば学生は激減し、むしろ入試なんてものはなくなる。さらに、それが引き金となって生涯学習社会への移行が起こる。 大学だって商売である、学生が激減すれば、社会人を取り込むために必死で努力するだろう。 社会人を取り込む事こそが、大学が生き延びる道である。

ここにも「オヤジに負担をかける」ガクレキ封建体制が影を落としている。「ガクレキ封建体制」のおかげで、日本の労働市場は流動性を損なっているのである。生涯学習社会に移行したら、オヤジも子供もお互いどれほど楽になるだろうか、身軽になるだろうか? 身軽になれば日本社会は柔軟性を取り戻す。

特記すべきは学歴税が引き金となって学歴封建体制が崩壊し、生涯学習社会への移行が起こる、社会の相転移が起こる、これこそが本当の革命である。

同じ土俵にいる限り「親のすねをかじって大学に行く金持ち」が必ず勝つようになっており、それが生涯教育の普及を阻害するからである。このままズルズル続けて行っても、生涯学習社会は永遠にやって来ない。だからこそ「学歴」に課税し「絞り込む」あえてそれを行う事で「我々貧乏人=下流のチャンス」が到来するのだ。

もっとも生涯学習社会においては、親自身が大学に行くかもしれないが、それでも自分1人分、少なくとも「子供の人数Nに比例する負担」はなくなるわけだ。

忘れてはならない事がある。それは世の中には子供が欲しくても出来ない夫婦もいるし、結婚したくとも出来ない人もいるという事だ。 そのような人たちの理解を得るためには、まず、@ 学歴に課税し、親のすねをかじって大学に行く「安易な学歴取得」を抑止する、A 学歴税を払っても元が取れると判断した社会人が大学に行く。 B 親に負担をかけない生涯学習社会に移行する。 それをやった上で、支援をお願いするのが筋ではないか? 今のままで子育て支援したところで、支援で浮いた金が「お受験」のために使われ、受験産業を儲けさせるだけである。

私が理想とする社会は親知らず社会だ。 親が知らない間に「いつの間にか息子は結婚していた」「いつの間にか大学に通っている」社会であり生涯学習社会である。水臭いと言われるかも知れないが、進学にしろ、就職にしろ、結婚にしろ、親がしゃしゃり出てギャーギャー騒いでろくな事はない。

この仕組みによって否応なく生涯学習社会への移行が進み、真に教養・文化あふれる社会になる。

それに比べ「子供はそれぞれ自分の稼ぎで大学に行く」生涯学習社会だったらどうだろう?これだと「子供を何人作ろうが親の負担は増えない」つまり子供の人数Nに比例しない教育費が実現できる。

では生涯学習社会へ移行させるにはどうすればよいか? まず子供を安易に大学に行かせないこと、そのためには学歴税を導入し、冷や水を浴びせることである。

たしかに学歴税を導入すれば、多くの若者は頭を冷やし、大学進学者は激減するだろう、それは一見格差を生み出しそうな気もするが「頭を冷やす」のは良い事である。 というのも次の段階として「生涯学習社会への移行」が起こるわけだから、むしろ機会均等という観点からも、望ましい結果をもたらすのではないだろうか?

大学だって商売である、学生が激減すれば死に物狂いで改革を進めるだろう。保険の外交員ではないが、各企業を回り「うちの大学に来てください」と頭を下げる。そうやって生涯学習社会への移行が進む。

これまでは奨学金というと、成績が下がると打ち切られたり、返済しなければならなかったり、ろくなものはなかったが、生涯学習社会に移行し「自分でカネを払う」事で初めて、真の機会均等が実現できる。

そもそも生涯学習社会には、非行も体罰も入試もない(カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分である)

さらに嬉しい事に生涯学習社会に移行すれば、ポスドク問題も解決する(ポスドクとは博士号を取ったものの企業に敬遠されてしまい就職先がない人たちである)。 もちろん研究が成功すれば良いがうまく行くとは限らない、それで自殺されたのでは大学院まで行かせた親にとってはたまらない。 生涯学習社会に移行し仕事と研究が両立できる社会になれば、そのような悲劇は防げる。

むしろ逆に生涯学習社会に移行しなかったら、大学が旧態依然の商売を続けていたら、その方が怖い。 いずれ少子化により大学も国家も共倒れ、その可能性が高いのである。

企業はタダだから学歴を採用の基準として利用する。すると、→ 親は子供に投資せざるを得なくなる。→ その投資は客観的・合理的・効率的でない。→ 教育コストは増大する。→ 少子化・年金・財政破綻。という連鎖で、社会・経済に重大な損害を与えて行くのである。ガクレキ封建体制を破壊し、生涯学習社会に移行すれば、このような無駄はなくなり、正しく効率的な競争が実現できる。

生涯学習社会に移行し、親も学校も会社も、嫌ならいつでも交換できる「身軽な社会」になれば、自由競争の原理が働き、規則にしても厳しさにしても、自ずと適正な範囲に収まる。

「今しか買えない商品(今でしょ!商法)」だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる。卒業証書のために辛抱を重ね自殺するそんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し借金だけが残るまさしく教育ビンボー。生涯学習社会に移行し、ガクレキが「いつでも買える商品」になれば、そのようなムダ・横暴は抑止できる。

生涯学習社会には非行も体罰も入試もないカネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分だからである。体罰をなくそうとかのキレイ事タテマエ論もこの際どうでも良い。時間の無駄である。それより「サムライ商法をぶちのめす」事が先決である(体罰禁止のポーズはサムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)。サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)

他の資産運用と比較すれば、学問は実利一辺倒になってしまうのだろうか、そんな事はない。 むしろ成熟した生涯学習社会を迎えてこそ初めて学問の自由・多様性が保証される。(親のすねをかじっている限りは「良くて就職のための道具」それ以上の物にはならない)

@ 重厚長大から、軽薄短小へ、A 春闘賃上げよりも、低賃金でもやって行ける真に豊かな社会へ、B 年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせるガクレキ封建体制から、子供はそれぞれ自分の稼ぎで「勝手に」大学に行く生涯学習社会へ、

生涯学習社会に移行すれば、その様な事はなくなり興味を持ったらすぐ学べるタイムリーな対応が可能となる。 さらに生涯学習社会においては科目単位の切り売りが主流となる

少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は「教育コスト増大」にある。 つまり一言で言うとお前ら学者こそがボトルネックになっているその現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになっても、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、金の力にモノを言わせ、さらにその上を行くものである。結局のところ、やたらと高学歴化を進め社会全体の教育コストを増大させるばかりで、平等は実現できない。 奨学金といえども結局バラマキに過ぎないわけである。

これまで左翼は、学校増設、入試改革、奨学金制度によって平等を実現しようとしてきた。しかし冷静に考えて、このやり方で平等は実現できるのかと言えば否である。みんなが高校・大学に行けるようになっても、いわゆる名門志向型の受験地獄はなくならないし、貧乏人が大学に行けるようになったら、その頃はもう金持ちは大学院に行くのが当たり前になっているだろう。

いつまでたってもイタチごっこ、平等なんて永遠にやって来ない。 それどころかますます高学歴化が進み、イヤな社会になって行く。 国民の負担は重く教育ビンボーになるばかりだ。 教育費を稼ぐためオヤジは過労死し、そして少子化・年金制度の破綻を引き起こす。

卑近な例で言うなら、借家人の息子が奨学金の助けを借り大学に行くようになれば、それに危機感を抱いた大家は、息子を大学院や難関大学に行かせるだろう。 結果教育コストは増大し、巡り巡って家賃が値上げされるのだ! すると貧乏人はますます窮地に追い込まれる。

最も有効で弊害のない手段は課税である。 「大学に行くと一生、学歴税を取られる」社会にすれば「本当に必要な場合以外の」むやみな学歴取得を抑止できる。 そうやって「教育コスト」を削減する。 鬼のような事を言うがそれが正しいやり方である。

果たして奨学金は平等を実現しただろうか? 奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、塾だとか家庭教師だとか、カネの力にものを言わせ、さらにその上を行くものである(子供の塾通いのために自家用機だって飛ばすのだ)また新たな差別化手段「エリート名門」が生み出されるだけである。 平安貴族の化粧ではないが、人を驚かせ畏怖させるまた何かを持ち出して来るだろう。

何せカネモチを刺激すると教育コストは増大する一方である。 それが巡り巡って我々労働者に跳ね返って来る。 国民負担は増大し、相変わらずの長時間労働、そして本当に大学に行く必要のある社会人が大学に行けなくなる。

そもそも平等なんて最初から無理な話、もういい加減、目を覚ましてはどうなのか、もういい加減バラマキをやめ、土地財産同様「学歴」にもフツーに課税してはどうなのか?それが最終的解決手段、健全な社会を実現する。

これまでは奨学金というと、成績が下がると打ち切られたり、返済しなければならなかったり、ろくなものはなかったが、生涯学習社会に移行し自分でカネを払う事で初めて、真の機会均等が実現できる。

奨学金は、返済の要否を問わず、もはや時代遅れである。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc.....プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる(小さな政府)。

金持ちばかりが大学に行き、貧乏人は大学に行けない「不平等だ」「俺たちも大学に行かせろ」と主張するのは賢明ではない。 なぜなら奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらなる付加価値を求めもっと金をかけさらにその上を行くのは当たり前、イタチごっこ、平等なんて永遠にやってこない。 また新たな差別化手段、エリート名門が生み出されるだけである。

教育コストの増大は、少子化・年金問題を引き起こし、国家財政を破綻させ、国民をますます苦しめる。もはや奨学金云々の次元ではない学歴に課税しろ!と主張するのが正しい。

大学無償化なんてもう言うな「穴を広げる」だけである。 「教育格差」をなくす正しい方法は「無償化よりもまず財源確保(学歴税)」である(簡単な事である、ガクレキも土地財産と同等に扱えばよい)。

少年法にしても、児童買春にしても、児童ポルノにしても、これらゴタゴタした複雑な救済制度は、いずれも副作用のキツイいわく付きの制度である。

少年法の弊害は言うまでもないが、それ以前に、本当に少年法は、少年を守っているのか?虐待された少年が家に火を放った、そういう場合には少年法が守ってくれるのかもしれないが、子供が保護者を選択できるようになっていれば、虐待され苦しむ事も最初からなかったし、家族も巻き添えを食らわなくて済んだのだ。

児童買春、援助交際? そんなものは姦通罪で処罰すれば一発でなくなるものである。 イスラム諸国のような死刑はやり過ぎだが、買う側を処罰するなら売る側も(自分の意志である限りは)同様に処罰するのは当然で、両方処罰してこそ初めて効果が上がるものである。 いつまでも「子供=被害者」扱いによる弊害は少年法と同様である。

一方では子供が被害者と成らざるを得ない劣悪な環境を放置しまた一方では一律に被害者扱い=劣悪な環境のせいにする。前者は前者で問題だが、後者は後者で子供の判断を狂わせ弊害をもたらす、まずいやり方である。

児童買春についてはさらに年齢の問題もある、高校生にもなって何が「児童」なのかと不思議に思う人も多いが、これは高学歴化により若者の自立が遅れているためである。(この先ますます高学歴化が進めば、同様に少年法の延長も考えざるを得なくなる)

凶悪な少年犯罪があるが故に、少年法を廃止(縮小)せよという意見もある。 だが子供は親を選べない高学歴化により親の影響がさらに大きく、子供の人生により決定的壊滅的打撃を与えるようになり、しかも劣悪な環境や虐待がなくならないならば、廃止(縮小)どころか「マジで延長」せざるを得なくなる。

「大学に行かないとロクな仕事に就けないよ」「ますます格差は広がるだろう」とか言って恫喝するのが、サムライ商法の常套手段、そうやってカネを搾り取るのである。

すべての職業は社会に必要とされているものである、稼ぎの良し悪しだけで安易に、勝ち組負け組、上流下流に分類する職業観とはいかがなものか?

例えば大工になりたい、重機を操作する仕事に就きたいという小学生がいたら、大人はそんな仕事は下流だと言って笑うのだろうか? 大企業に入るだけが勝ち組なのか、皆がそれを目指して殺到するのか? 子供がヤル気を失うのは、豊かになった社会というのもあるが、それ以上に大人の歪んだ職業観・歪んだ上流志向が原因ではないのか?

あんな職業はダメだ、こんな職業はダメだ、一流大学を出て大企業に入社する以外は、すべて負け組であるというような考え方を刷り込まれれば、ヤル気を失い、もはや努力自体を放棄する者も出て来る。

唯一健全な競争と言えば早く卒業して社会に出るという事であろうか、とはいえそれは長い間親のすねをかじって大学に行った者がエラくて早く社会に出て働いた者がバカにされるガクレキ封建体制の価値観と真っ向から衝突するものである。

そもそも女性はなぜ、子供を預けてまで働こうとするのか、それは「子供を大学に行かせるための貯金」である。つまりばらまいた補助金=我々の納めた税金はそのままサムライ商法=大学・受験産業に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない、まずこの流れを断ち切るのが筋ではないか?

女性が働く事を否定するわけではないが、女性の社会進出男性が仕事を失い、あるいは賃金が下がれば結婚できなくなる。少子化対策として見る限り、女性の社会進出はプラスともマイナスとも言い切れない。それよりも女性を安い賃金で働かせ(補助金もろとも)サムライ商法が吸い上げるという構図には、終止符を打つ必要がある

私は女性の社会進出には賛成である「稼げる女性」はどんどん社会に出ればよいと思っているが、補助金は廃止すべきである(女性が働くのは良いが、それよりも「補助金に群がるシロアリ退治」が先である)

本気で女性の社会進出を進めたいなら、まずは男性が過労死寸前まで働かなくてすむ社会にすることである。 それはつまりオヤジに負担をかけない社会で、それを実現するためには、

結局、オヤジのためにも、子供のためにも、そして女性の社会進出のためにも、さらには労働市場の流動性を高め日本経済を活性化させるためにも、真っ先に親子の結びつき=ガクレキ封建体制を破壊することだ。

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。親は子供を作るだけになれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列や終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。失業保険だって要らなくなる。 私は転職したことがあるが、給付を申請しても待機期間とか給付制限期間とか言って、なかなか払おうとしない。 失業保険なんかに加入するよりも、そのカネを銀行に預けていた方が、すぐ引き出せるだけましである。

国家が子供を養うようになれば(そして女房も子供も、勝手に生きて行く社会になれば)失業保険など不要になり、役人を大幅に削減できるだろう。

そもそも教育というものは、失業問題の解決につながるのだろうか?その答えは、イエスでもあり、ノーでもある。

だがそれでもって「教育失業問題を解決する」と言えるかといえばノーである。 ではすべてのホームレスを大学に行かせれば失業問題はこの世から消え去るか? そんな事はない。

教育は個人レベルでの失業問題の解決や、個人レベルでの収入増につながるかもしれないが、社会全体としての失業問題には無力であるし、社会全体の豊かさにつながるかも不明である。社会の発展(生産性向上)に正しくつながれば良いのだが、単なる見栄の張り合い、無意味な学歴獲得競争に翻弄され「ムダな学歴を増やすだけ」に終わるのかもしれない(大層な学歴を持っていても、それを生かせる職業に就く事が出来なければ無意味、むしろプライドが高い分マイナス)。だから教育失業問題の解決につながるかどうかと問われれば「イエスであると同時にノー」としか言いようがない。むしろ下手に高学歴化してしまうと教育コストが増大し、少子化が起こり、財政は悪化し、福祉は後退し、それこそ国を滅ぼして行くシナリオも考えられる。

さて失業問題の本質は何なのか、突き詰めて行くとこういう事である。 無駄をなくそうとか生産性向上などとよく言われるし本書でもその様な事を書いている。 それと矛盾するようだが、ムダもまた必要なのである。

失業者が町中に溢れたのでは社会は不安定化する。そこでスポーツだとか、レジャーだとか、ゲームだとか、ネットだとか、新しい遊びが生まれ、それに金と時間を費やす事で新たな雇用が生まれる。

さてそのような観点から教育というものを再度検証してみると余剰労働力の吸収体雇用調整機関としての学校は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。

ガクレキが「今しか買えない商品(今でしょ!商法)」だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる。卒業証書のために辛抱を重ね自殺するそんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し「借金だけが残る」まさしく教育ビンボー。生涯学習社会に移行し、ガクレキが「いつでも買える商品」になれば、そのようなムダ・横暴は抑止できる。

これはブラック企業だけでなく、最低賃金制度でも、偽装請負でも言える事だが、いくら法律で規制してもなくならない。 むしろ規制が厳しくなる事で逆に失業するあるいは希望する職業に就けなくなる可能性もある。 私はIT業界に勤めているが、偽装請負を厳格に禁じたら私の仕事は無くなってしまうかも知れない、もしそうなったら国が代わりに雇ってくれるのか生活保護してくれるのか、政治家も役人も何考えているのだ!

そんな中いまだに独占的強権を握り、子供の人生を弄び虐待し殺しまくっているのが親である。 つまり人権擁護法よりも児童ポルノ法よりも少年法よりも、まず親権にメスを入れる事こそが人権を守る一番正しい確実なやり方である。

親権があまりにも絶対的で強力すぎるため、子供は何も対抗出来ない。そこで様々な救済制度が存在する。だがこれらも本当に子供のためになっているのか、子供を正しく導くことが出来ているのかと言えば疑問である。少年法にしても、児童買春にしても、児童ポルノにしても、これらゴタゴタした複雑な救済制度は、いずれも副作用のキツイいわく付きの制度である。

さて次は児童ポルノだと?子供の水浴び写真を持っているだけで逮捕されるのか?子供時代の自分自身、あるいは古い先祖の写真でも疑われるのか?まったく変な法律をゴタゴタ作るばかりで実効性がまるでない「何やってんだ」「バッカじゃねえの」としか言いようがない。国家が子供を養うシンプルな制度になれば、そんな問題は一発で解決する。

児童ポルノにしろ、従軍慰安婦にしろ、サーカスにしろ、そのほとんどは親が売っているのである。もっとも子供を売るなんて事が常態化すれば、なかには誘拐や強制連行といった事例も出て来るのかも知れないが、それはあくまで少数派、ほとんどは貧困と親の問題、根本的に「親」に問題がある。

さらに問題は児童ポルノだけではない、世界に目を向けると、そこには劣悪な環境で働かされている子供がいる。児童労働少年兵の問題も深刻である。国が豊かになり学校が建設されると、それで終わりかというと決してそうではない。 それはまたそれで受験戦争が勃発し子供は殴られ虐待される(日本に限らず他の国も同じ)

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc.....プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる(小さな政府)。

それとも貴方は、子供の水浴び写真を持っているだけで逮捕されるビクビクした世界の方がお望みだろうか? 最大の虐待者は親であるという現実から目をそらし、一部変質者のせいにしようとする児童ポルノそれが巡り巡ってブーメランである。

こうした根強い学歴差別を解消するためには「これまでにない発想」新しい思想が必要である。つまり、これまでの、いわゆる左翼的平等論では対応できない、ということだ。

実は日本のエリートは単に丸暗記がうまく、要領が良いというだけで、肝心の思想を持っていない。 自ら思想をつくって社会の役に立つなど、とてもできはしないのだ。

だが、これまで聖域であった教育にメスを入れるのは、与野党とも容易ではない。大学に行く事をやめさせると言っても、真っ先に引っかかるのが、憲法に定められた教育の機会均等である。 これをどう解釈しどう扱うか、核となる思想がなければ、政治家は何も出来ない。 その思想を提供するのが本書の目的である。

結局思想がないから何1つ問題を解決できず、対症療法に終始しているのである。では日本を救う思想とは何か? 日本を救う思想となるべき条件は何か?それは受験地獄を解決できる思想である。 受験地獄―――こればかりはどんな高僧も解けなかった難題、すべてはそこから始まっている。

今日における日本の停滞は、永田町の機能不全にもよるが、それ以上に致命的なのは、政治家に思想がなく、何をどうすれば良いか分かっていない事である。政治家は時として「鬼のような」事を言わねばならない、しかしそれを言うためには、思想がなければならない。 思想がないから、目先の人気取りに終始し、失敗するわけである。

思想がないそれは紀元前BCと同じベンハーの奴隷船である

子ども手当が遊興費に流れてしまうのではないか、少子化対策につながらないのではないかとの懸念から、教育バウチャーを検討する向きもあるが、このような使途を限定した金券が全く意味をなさないのは経済の常識である(これまで現金で支払ってきた塾代を教育バウチャーで支払えば、それで浮いた現金が遊興費に流れるだけの事、それを防ごうとすれば、国家が個人の財布を管理せねばならず、生活保護でもそれは困難)

すでに現状は、浮いたカネがお受験に流れ受験産業を儲けさせるだけの結果になっている、それでもなお懲りず教育バウチャーとは笑止千万である。

どうせやるなら―――すべての子供を国家が養うようにし、さらに子供が保護者を選択する=親権バウチャー制度にすれば良いのである。そうすれば親の負担は激減すると同時に、競争原理が働きしつけ・懲戒も含めすべては常識的範囲に収まる。

諸外国には、公立学校における学校選択の自由および私学助成を兼ねて教育バウチャーを導入している国もあるが、我が国の場合は、学校選択の自由よりも親を選択する自由=親権バウチャーの方が先である

「では、貧乏人を搾取するのではなく『金持ち税(富裕税)』を導入して、それを奨学金の財源にすれば良い」と言う人もいるだろうが、結論を言うとそれはダメである。 それをやると、金持ちは「一枚岩」となって対抗し、結果として貧乏人に跳ね返って来るだけである

金持ち税(富裕税)というと聞こえは良いが、結局それは家賃や商品の価格に転嫁(上乗せ)され、最終的に(弱い立場の)貧乏人に跳ね返って来るものである。これはいわば金持ちが構築した搾取集金システムの「その上」に、さらに非効率な役人学者=サムライ商法が乗っかって来る事を意味し、貧乏人はますます搾取される。むしろ金持ち税(富裕税)イコール貧乏人税と認識した方がよろしい。

では大学の授業料を無料にすれば良いではないかと主張する人もいるが、どうだろうか? 大学の授業料を無料にするために税金が高くなり、結局これもまた形を変えたバラマキであり、本質的解決にはならない。

そもそも「雨露をしのぐ生活必需品である家」にまで税金がかかるのに、なぜ「学歴」に課税されないのか?

国家が「税金取るぞ!」という姿勢を示せば、過剰な学歴中身のない学歴は、たちどころに消えてなくなる。

念のために言っておくが、固定資産税は「家を持っている金持ちだけが支払っている税金」ではない。借家人も家賃という形で、間接的に支払わされている。おそらく大家は空き家の分まで家賃に上乗せしているだろう。

学歴税は、安っぽい正義を振りかざすではない。 社会の流れを変えるムチとしてのである。

政治家は恩着せがましく、バラマキをやろうとする。 だがバラマキをやればばらまいた分だけいやそれ以上に役人の人件費が加わり)」税金が高くなり、生活を圧迫するのは確実、何してるこっちゃ分からない。

オムツやミルクを無料にするために税金が高くなり、オムツやミルクを配るために役人が増える―――まったくもって愚の骨頂である(大きな政府)

教育に対する投資を否定するわけではないが、少なくとも聖域扱いは良くない。他の投資と対等に比較し課税されるべきもの」と私は考える。

「親のすねをかじって大学に行った者」に課税し一考を促す「生涯学習社会へ移行させる」それが先決である。

このままズルズル続けて行っても、生涯学習社会は永遠にやって来ない。 だからこそ「学歴」に課税し「絞り込む」あえてそれを行う事で我々貧乏人=下流のチャンスが到来するのだ。

【手順1】学歴税(マトリクス累進型所得)を導入し、安易な学歴取得を抑止する(大学・受験産業へのカネの流れを抑制する)

むしろ我が国は、逆に課税する事で過剰な学歴中身のない学歴を減らし、リストラを進めるのが正しい。

教育にしろ、福祉にしろ見かけ上の改善を考えている政治家はたくさん居るが、見かけ上は良くなっても、そのために税金がグーンと上がるのでは意味がない。

学歴税は、親の見栄メンツのための学歴取得を抑止し、若者の自立を促し、良好な親子関係を築くためのだ。

最も有効で弊害のない手段は課税である。 「大学に行くと一生、学歴税を取られる」社会にすれば「本当に必要な場合以外の」むやみな学歴取得を抑止できる。 そうやって「教育コスト」を削減する。 鬼のような事を言うがそれが正しいやり方である。

累進性逆進性か」よりも跳ね返らない良い税である。

不平等を訴えるのなら、むしろ金持ちを敵に回すのではなく「土地財産にばかり課税され、ガクレキには課税されない」という現行制度の不平等を訴え、金持ちを味方につけた方が賢明である。

そもそも女性はなぜ、子供を預けてまで働こうとするのか、それは「子供を大学に行かせるための貯金」である。つまりばらまいた「補助金=我々の納めた税金」はそのままサムライ商法=大学・受験産業に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない

人は無意識のうちに身分制度を目指すのだろうか?東大に入れば、弁護士になれば、医者になれば、大企業に入れば、NHKに入社すれば、公務員になれば、正社員になれば、一生安泰なんて実は身分制度当人は難しい試験に合格して能力主義のつもりだろうが、果たしてその様な社会は良い社会だろうか?

よって格差を無くすためには、正社員を減らすのが正しいと考える(政府にはもっと正社員を減らしリストラを進めるように企業を指導してもらいたい、間違っても正社員を増やせなどと言ってはいけない)

正社員を増やし生活を安定させよう」などと言うのは、少子化対策としては全くのナンセンス、むしろ無理に「正社員を増やそう」と中途半端な事をする、それもまた新たな特権階級を生み出し、格差・歪みの原因である。

格差を無くす正しい方法は、正社員を減らすか、または正社員の給料を引き下げる(退職再雇用するまでもなく下げる)事である。

国家が企業に正社員を増やすように圧力をかけるのは間違っている。 それは本来国が行うべき社会保障を企業に押しつけているに他ならない。

国の社会保障がうまく機能しなくなって来ると、保守も革新も大家族を復活せよとか正社員を増やせとか主張するが、それは無責任、そもそもなぜ社会保障がうまく機能しないのか、その原因を考えずに家族や企業に社会保障を押しつけてもうまく行かない事に変わりはない。

教育コスト削減こそが本当の少子化対策、正しく機能する社会保障こそが国家が存在する意義である。

あるいは待機児童という妙な問題がある。 貴方はおかしいとは思わないか? フツーに考えて、保育園が、需要があり儲かるものなら、資本が参入し、コンビニエンス・ストアーのように、黙っていてもどんどん増えて行くはず、そうならないのはなぜか?

つまりばらまいた補助金=我々の納めた税金はそのままサムライ商法=大学・受験産業に流れて行くわけで(高学歴化にはつながっても)少子化対策にはなってない、まずこの流れを断ち切るのが筋ではないか?

それよりも女性を安い賃金で働かせ(補助金もろとも)サムライ商法が吸い上げるという構図には、終止符を打つ必要がある

私は女性の社会進出には賛成である「稼げる女性」はどんどん社会に出ればよいと思っているが、補助金は廃止すべきである (女性が働くのは良いが、それよりも補助金に群がるシロアリ退治が先である)

親のすねをかじって大学に行かせてもらうそれしか実質的に道のないガクレキ封建体制は、子供にとって抑圧的で、管理教育や体罰、虐待など様々な人権問題を引き起こしてきた。しかし問題はそれだけではない。 ガクレキ封建体制はオヤジにとっても決して楽ではない。

体罰だけでなくやたら競争を煽り叱責する事も同様である。

競争が無くなれば、学生は勉強しなくなるか、そんな事はない、そもそも生涯学習社会には、非行も体罰も入試もない(カネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分である)競争競争と言うが、そもそも食堂が客に早食い競争させるだろうか?(うまいものを作り、教授法を研究し、客や生徒を奪い合う事こそが真の自由競争である)

要は子供が親権を選択できるかどうか自由競争が働いているかがミソ、核心であって、別に体罰を禁止する必要はない。

私の主張内容は、いわゆる巷の体罰肯定論とは、次の3点で大きく異なっている。

前項では体罰禁止よりも自由競争をちゃんと機能させることが重要であると述べた。しつけと称した虐待を行う親がいるからと言って、しつけそのものを否定はできない。

体罰禁止のタテマエが裏に潜った闇の体罰を蔓延らせる結果になっては本末転倒である。また体罰以外にも精神的虐待など数えればきりがない。体罰を禁止するのではなく風通しを良くする、親権にも自由競争・市場原理を導入すべきというのが本書の主張である。

体罰そのものよりも、子供を一流大学に入れたいとか、アスリートにしたいとか、親の見栄・エゴ・我欲の方こそが問題、それは何も体罰に限った話ではなく精神的虐待も同じ。

本書はすべての体罰を否定するいわゆるサヨクのドグマではなく行き過ぎを防ぐために親権にも自由競争を導入する風通しを良くするという方向の主張である。

アメリカでは地域の実情に合わせ体罰が認められている州もある。 そのような州では、パドルと呼ばれる尻叩き板が用意されている。 ただ逆に言えばアメリカの学校は一定のルールの下に体罰を行い、しかも尻しか叩かないので、生徒が死ぬ事はない。

いちがいに体罰がいけないとか言っているのではない。 それよりも最終的に、

マスコミは体罰体罰と騒ぐが、体罰そのものよりも、その裏に隠れた客寄せパンダ問題に着目する必要がある。

世界には、子供の尻をひっぱたいただけで警察に捕まる家庭体罰禁止の国もある―――むしろ、そうなってしまわないために子供が保護者を選択する制度は必要不可欠である。

雇用調整機関としての「学校」は、日本経済の安定を支えて来たともいえる。若者にとっては何のための勉強か分からない辛い側面があり、非行に走ったりあるいは体罰やいじめなどの人権問題もあるがコントロール可能なムダとして、なおかつたまには役立つ教育・学問は優れた性質を持っている。

そもそも子供が、イジメや理不尽な体罰に耐えているのはなぜなのか、それはガクレキ、つまりサムライ商法が力を持っているからである。ガクレキが今しか買えない商品(今でしょ!商法)だから法外な金を取られる、犠牲を強いられる。卒業証書のために辛抱を重ね自殺するそんな思いまでして取得したガクレキも、社会では役立たず失業し借金だけが残るまさしく教育ビンボー。

生涯学習社会には非行も体罰も入試もないカネを払うのは自分であり、真面目にやらなければ損をするのは自分だからである。体罰をなくそうとかのキレイ事タテマエ論もこの際どうでも良い。時間の無駄である。それよりサムライ商法をぶちのめす事が先決である(体罰禁止のポーズはサムライ商法側の時間稼ぎでもあるのだ)。サムライ商法の力が弱まれば、体罰は確実に減る(少なくとも理不尽な体罰はなくなる)

私は畏れ多くも国公立という言葉に体罰を連想する。 金持ちは入試科目の少ない早稲田や慶応に行き、貧乏人は殴られながら帝国大学を目指すというのが当時のパターンであった

私が子供だった頃に比べれば、体罰や人格否定は少なくなってきている、しかしやっている事は今もそれほど進歩していない、不安をあおり勉強しろと恫喝しても、いまさらだれも勉強しないし(深刻に考えてもノイローゼになるだけ、それで淘汰されるわけである)

受験勉強に追われ読みたい本も読ませてもらえない、知的好奇心まで抑圧される。そして日本人にとってピークとは合格して入学したそれで終わってしまうのである。勉強好きの子供をわざわざ勉強嫌いにして行く後が続かないまずいシステムである。

これまでは一流大学に入り寄らば大樹の陰とばかり大企業に入社する事が、お決まりのエリートコースであったが、優秀な人材が寄らば大樹を選択するのは良くない傾向である。 学歴税を導入すれば、そのような体制に風穴を開ける事が出来る。 今後は中小企業でも、生涯教育に理解を示す企業が、一流企業として伸びて行くだろう。

つまり高学歴化による教育コスト増大、賃上げ圧力が、賃金を高騰させ、労働組合の強い大企業と中小企業の格差を生み、さらに産業・技術の空洞化・海外移転を加速し、また一方では少子化の原因ともなっている。

そもそも自営業には、有給休暇も育児休暇もない。 大企業や役人だけでなく、中小企業や自営業の人たちも含めて、休みやすい環境を作る事が重要である。

もう一度言う子供を養い大学に行かせる重荷から解放され身軽になれば有給などという大層な制度などなくても、オヤジは自分の甲斐性で、いくらでも休む事が出来る。また会社は、複雑なコスト計算が不要になり省力化につながる。そして、なによりも優れているのは、この政策は、大企業や役人だけでなく、中小企業や自営業にも有効である点である。

そのような法律は、経営基盤の強い大企業・役人だけに有効であり、中小企業には効かない(いくら権利を主張しても会社が潰れればどうにもならない)。結局どうなるかというと、なまじ「クビに出来ない法律」があるがために、大企業の「仕事の出来ない奴」を辞めさせる事が出来ず、代わりに下請け社員が振り回され、こき使われる事になる。また別の意味での格差ブラック問題を引き起こす。

私は、春闘も賃上げも不要と考えている。 そもそも生産性が向上したのなら、安くて良いものが手に入るようになるはずだから、別に給料が上がらなくても、生活は豊かになるはずではないか? むしろ労働組合が変に頑張って、ガンガン給料を上げたりするから、歪が生じ大企業と中小企業の格差正社員と派遣社員の格差を生む。 さらに正社員が既得権化することで「雇用の流動性」が損なわれる

では少子化対策として、フランスのように、第3子以降を優遇するか? しかしこれも、日本ではうまくいかない。 企業別労働組合である日本では、大企業と中小企業の格差は歴然としている。 子供を3人育てるなんて大企業の社員しかできない。 必然的にこれは大企業優遇の制度となり(格差を広げる事にはなっても)少子化対策にはならない。

「格差」を是正しようとしても本当の解決にはならない。その理由を説明しよう。そもそも下流の人たちすべてを中流に引き上げる事など出来ない。 仮にやろうとしても中途半端な結果に終わるのは目に見えている。もし中流が増えたら物価の水準が上がってしまって下流が苦しむことになる。

これからは中流はなくなり「ますます少数に絞り込まれたエリート」と「大多数の凡人」という社会になって行くだろう。それを「格差」ととらえるか「平等」と捉えるかは、考え方次第である。コンピュータプログラマ(=下流)である私なんぞは、むしろ邪魔な中流(=大企業勤めの年功序列のオヤジ)がいなくなって行くのは、むしろ喜ばしい事なのだが!

そもそも中流意識って何なんだ、自分よりも下がいると安心? これでは部落差別と変わらない。

これまで中流層は自民党を支持し「上流」の側についていた(つまり下流の事など考えていなかった)ところが少子化が起こり、経済情勢が悪化し、自分たち中流下流に突き落とされると分かってきた、そこで格差社会批判アベノミクス批判を始める。ずいぶんと身勝手なものである(私はプログラマ=下流だが、自民党を支持する、役に立たない中流層=年功序列のオヤジはどんどん突き落としてやってくれとしか思わない)

上流や中流などどうでも良い、下流の生活水準がどこにあるか、それが日本の本当の国力である。 日本の下流は中国の中流、あるいは北朝鮮の上流以上という比較なら意味はあるが、同じ日本人でありながら中流意識って何なんだよ、中流を増やせだと? 自分よりも下を作りたいのか?

私のようなコンピュータプログラマ=下流にとっては、むしろ格差是正を口実に中流=年功序列のオヤジが息を吹き返す事の方が憂鬱である。

中流層が大量に引きずりおろされる事によって、平均が下がり、下流との差が縮まって行く。 それは見方を変えればむしろ良い傾向であり、当然の成り行きであり、より平等に近づいているともいえる。 必ずしも悲観するような悪い方向ではなく、うまくやればむしろ良い社会を作ることが出来る。

中流なんていうのは、本来は存在しないし、存在してはならない階層である。もしも無理に中流を作り出そうとすれば、それこそ下流の人たちの犠牲、搾取の上に成り立った中流という事になる。

良性格差(その2)中流層が引きずり下ろされる事により、数値の上で格差が拡大した。→ アメリカにおける中流層の凋落、日本における年功序列の崩壊。だが冷静に考えて、これらは、年齢や資格、学歴、大企業社員というだけでこれまで無条件に高い給料をもらっていた連中が、引きずり下ろされたわけだから、むしろ喜ばしい事ではないか?(格差が拡大したのではなく、むしろ是正されたと解釈すべきである)

なぜならば、これまで述べたように、すべての下流中流に引き上げる事などできず、結局のところ中途半端で不公正な結果を招くのが目に見えているからだ。資本力がありなおかつ労働組合の強い大企業において、格差是正を口実に「年功序列」が復活するだけだ。それは、格差是正を口実に新たな格差が作られる事に他ならない。

大学・受験産業は、ガキ相手にサムライ商法殿様商売して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

そのおごりは殿様商売というかたちでもあらわれる、例えば大学でコンピュータを学びたいという人がいたとして、従来ならば「合格するためには歴史年号の暗唱から始めなければならない」という制度であった

入試科目数については、近年は少子化の影響により減少傾向にあるが、では少子化問題が解決し志願者が増えれば(又は大学の淘汰が進み難関化すれば)大学は再び殿様商売に戻るのだろうか? 歴史は繰り返すと言うが、再び歴史年号の暗唱を要求して来るのであろうか? 面倒くせえ話、そうさせないためにも学歴税は必須、つまり「少子化によらずとも常に大学を定員割れ=飢餓状態に置いておく」必要がある。 (学歴コンプレックスの人もいるようだが、プログラマの私は「学歴なんて面倒くせー」としか思わない)

国公立大学は授業料が安いと言うことで、これまで殿様商売は大目に見られて来た(国公立は入試科目が多く、かつては四当五落とも言われ、子供は睡眠時間を削り「合格のために殴られてきた」私は畏れ多くも「国公立」という言葉に体罰を連想する。 金持ちは入試科目の少ない早稲田や慶応に行き、貧乏人は殴られながら帝国大学を目指すというのが当時のパターンであった)。 だがそもそも国公立は本当に安いのか? 国公立は税金で運営されている親方日の丸意識ゆえに実際のコストは高いのではないか?

そもそもなぜTPPに反対するのか、日本の農業だって決してアメリカに負けないはずである。 もしアメリカに負けてしまうとしたらその原因は何か? その1つに無駄に教育コストが高いというのがある(いまや「百姓もサムライ」ムスコを大学に行かせるのに必死である)

そもそも人間は「道具を使う生き物」であり、コンピュータを使えば良い(自らの手を蹄に進化させる必要はない)少なくとも単純な記憶・計算能力に関しては既に陳腐化している。 ※ それに加え「天才とキチガイは紙一重」と昔から言われる通り、良すぎる頭にもデメリットがある。 (デメリットがなければ人間はみんな天才・みんな大男に進化しているはずである)

大企業と中小企業の格差に関して言えば同一労働同一賃金なんてスローガンもあるが、言うは易く行うは難しである。そもそも同一とは何か、少しでも違っていればダメなのか、誰がどういう基準で判断する?それに「同一かどうか判定できるような仕事」は「いずれ自動化される単純作業」ではないのか?また同一でない場合もある。年功序列のオヤジとコンピュータプログラマは同一労働ではない。大企業勤めの年功序列のオヤジと派遣プログラマの格差同一労働同一賃金推進法では解決できない。

そんな中いまだに独占的強権を握り、子供の人生を弄び虐待し殺しまくっているのが親である。 つまり人権擁護法よりも児童ポルノ法よりも少年法よりも、まず親権にメスを入れる事こそが人権を守る一番正しい確実なやり方である。

競争や管理そのものを否定するわけではないがばかげた受験競争ばかげた管理教育が蔓延る原因は、つまるところ親権に競争がないから独占的強権を握っているからに他ならない。

日本には、受験のように、親が子供を一方的価値観でもって評価し品定めする制度はあっても、その逆、つまり親を評価し競争させる制度がない、それが最大の問題である。電話・鉄道が民営化され、裁判官でさえも裁判員のチェックを受ける時代に、いまだに親だけが独占的強権を握り殺りたい放題である。

私はかつて典型的な年功序列の大企業に勤め、そこでコンピュータプログラマをしていたが、ある時、年寄りが私にこう言った。

プログラマなんて下流=下っ端管理している年寄りが一番エライという価値観の会社だったのだ。そうなってしまった責任は、経営陣だけでなく労働組合にもある。組合もグルなのだ。要するに年寄りに実体のない肩書を与え、形式的に「管理業務」をさせることで、崩壊しつつある年功序列賃金を実質的に維持しようというわけである。

若者はプログラマにはなりたがらないし、親だって息子をプログラマにはしたがらない。なぜならコンピュータプログラマは、先に紹介した私の例でもわかるように、年功序列の日本社会では典型的「下流」だからである。

空洞化は高学歴化による教育コスト増大によって起こる。 年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせる=家父長制度・ガクレキ封建体制と、それを支えて来た年功序列=高すぎる賃金が重いツケを残し、国を滅ぼすのである。

年功序列であまりにも人件費がかさむため、他社と同様の、ありきたりのマイクロソフト=ウィンドウズ関連の技術なんかやっていたのでは勝ち目がない、会社が保たないと考えたのだ。目論見はこうだ。@ウィンドウズに敵対する技術=ジャバ・リナックスに賭け一発逆転を狙う。Aマイクロソフトをぶちのめし、既得権益を奪い大儲けして年功序列を守る。よりによって一番普及し一番有望な(そしてパソコンを買えばもれなく付いてくる)ウィンドウズを引っ剥がし、敵に回すとは、一般常識からして信じられないが、社長は自信満々である。

ジャバ・リナックス技術をテコに、ウィンドウズで世界を支配している悪の大資本=ビルゲイツ帝国に風穴を開け、革命を起こし「ガッポリ稼いで年功序列を守る」というわけだ。革命の目的が年功序列の維持というところが悲しいが、本人は大まじめである。

ビルゲイツ帝国打倒よりも、まずは「己の年功序列・丸投げ体質こそ先に何とかしろ」「ビルゲイツ帝国を批判するなんぞ百年早い」と言いたいが、これは技術の問題というよりは政治イデオロギーが絡んでいる厄介な問題である。アメリカ帝国主義打倒ソ連は素晴らしいと言い張っている奴に何を言ってもムダなのと同じだ。

さらに賃金アップは円高と同じで、無理に引き上げれば弊害が出る、つまり現場でものづくりをしている人間にとっては、中国やベトナムの賃金と比較されたのではたまらない。 逆に大企業の年功序列のオヤジはいい気なものである。 下請けに厳しい事ばかり言って買い叩けばいいのだから、本当は大企業の年寄りこそ、安くて優秀な外国人マネージャに置き換えるべきなのだが、なかなかそうならないのが日本社会、結果としてプログラマなんて価値の低い下流の仕事外注管理している俺たちの方が偉いんだゾー

前項では、高すぎる賃金は、円高同様、産業・技術の空洞化・海外移転を招き、ものづくりに悪影響を及ぼし、ひいては職業差別にまで発展する事について述べた。ではなぜ日本の賃金は高すぎるのか? それは労働組合だけのせいではない。年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせる=家父長制度・ガクレキ封建体制がはびこっているからだ。

それを「格差」ととらえるか「平等」と捉えるかは、考え方次第である。 コンピュータプログラマ(=下流)である私なんぞは、むしろ邪魔な中流(=大企業勤めの年功序列のオヤジ)がいなくなって行くのは、むしろ喜ばしい事なのだが!

@ 年功序列で高い賃金をもらうオヤジが、A 何人もの息子を大学に行かせる、B 家父長制度「ガクレキ封建体制」このような社会ではいくら金があっても足りない。春闘も賃上げも焼け石に水教育ビンボーである。

だが低成長時代の現在では、終身雇用年功序列が崩壊し教育ビンボーは少子化に直結する。 そして少子化は年金制度を破綻させる。年金制度が破綻して行き着く先は姥捨て山だ。 それは国家が滅びるに等しい。

私のようなコンピュータプログラマ=下流にとっては、むしろ「格差是正」を口実に「中流=年功序列のオヤジ」が息を吹き返す事の方が憂鬱である。今後は賃上げよりもむしろ低賃金でもやって行ける真に豊かな社会を目指すことこそが重要課題であり、むしろ賃金を引き下げ適正化する事を考えねばならない。

アメリカにおける中流層の凋落、日本における年功序列の崩壊。だが冷静に考えて、これらは、年齢や資格、学歴、大企業社員というだけでこれまで無条件に高い給料をもらっていた連中が、引きずり下ろされたわけだから、むしろ喜ばしい事ではないか?(格差が拡大したのではなく、むしろ是正されたと解釈すべきである)

プログラマは「格差社会」と言われるかなり前からはっきりと「下流」に位置づけられている職業である。 インド人や中国人にとっては「エリート」かもしれないが、日本社会においては、とりわけ年功序列が色濃く残る企業においては典型的「下流」なのだ。私はそのことをひがんでいるのではない。下流であっても良い。それよりも生活のムダをなくし、賢く生きようではないか!と言いたいのだ。

国家が子供を養う制度、それは教育だけにとどまらず、産業・労働・経済にも影響を及ぼす。 親は子供を作るだけになれば、給料が安くてもやって行けるので、年功序列終身雇用のような企業の負担となる硬直した制度も要らなくなり、その分、生産性も向上する。

そもそも問題の本質は何なのか? 年功序列のオヤジ「何人もの」ムスコを大学に行かせる「家父長制度・ガクレキ封建体制」これではいくらカネがあっても足りない。 春闘も賃上げも焼け石に水、オヤジは教育費を稼ぐため過労死し、少子化・年金問題を引き起こす。 それだけ無理をしているわけである。

日本のIT大企業には未だに年功序列の年寄りがのさばっていて、その一方で、システムを実際に作るプログラマは、下請けや外国人を長時間労働させている。 ※ とはいえここで私は年功序列の年寄りを槍玉に挙げるつもりはない。 彼らだってムスコを大学に行かせるため大変なのだ。

非正規雇用が多数派となればなったで、社会はそれに適応して行くものである。この期に及んで正社員を増やそうとか、年功序列を復活させようとか、時代の流れに逆行する様な事をしても、事態を余計に悪化させるだけである

その一方で下請けに外注するだけ管理のふりしているだけで責任取らない大企業の年寄りなど、特権階級をのさばらせる

私はコンピュータプログラマをやっているが、ひとつの会社に一生お世話になるなど考えたこともない。 私が不満に思うのは、大企業はいまだに年功序列であり、彼らの方が高給である。 よって格差を無くすためには、正社員を減らすのが正しいと考える(政府にはもっと正社員を減らしリストラを進めるように企業を指導してもらいたい、間違っても正社員を増やせなどと言ってはいけない)。

B 年功序列のオヤジが何人もの息子を大学に行かせるガクレキ封建体制から、子供はそれぞれ自分の稼ぎで「勝手に」大学に行く生涯学習社会へ、

虐待というと、暴行やネグレクトばかりがクローズアップされるが、精神的虐待も重大である。親が神経症(ノイローゼ)の傾向を持っていると、それが子供に伝染する可能性がある、特に受験期は注意が必要である。私が学生の頃は、母親の過干渉が原因で、強迫神経症という一種のノイローゼになっていたが、そういう場合も国家が子供を養う制度であれば、引き離す事が容易になる。

そもそも肉体的虐待だけでなく精神的虐待も、さらにはノイローゼの伝染現象まで、すべてを児童相談所が審査し、認定する事は可能だろうか?

(a)幼児期の体罰も含めた厳しい躾による絶対服従の素質(b)単に口喧しいだけでなくノイローゼ的傾向を持つ干渉私の場合はこのabが掛け合わさって、ノイローゼ性的倒錯を引き起こしたわけだが

もちろん命に関わるような暴行は論外だが、体罰だけを取り締まっても意味がない。 むしろ精神的虐待やノイローゼの伝染にこそ注意を払うべきだろう。

繰り返すが、現行の児童相談所が扱えるのは「どう頑張っても半分だけ」肉体的虐待とネグレクトが精一杯である。精神的虐待やノイローゼ性的倒錯の対応まで手が回らないし、もし対応しようとすれば莫大な予算が必要となる。

私が子供だった頃に比べれば、体罰や人格否定は少なくなってきている、しかしやっている事は今もそれほど進歩していない、不安をあおり勉強しろと恫喝しても、いまさらだれも勉強しないし(深刻に考えてもノイローゼになるだけ、それで淘汰されるわけである)

日本には、受験のように、親が子供を一方的価値観でもって評価し品定めする制度はあっても、その逆、つまり親を評価し競争させる制度がない、それが最大の問題である。

評価とか通知簿なんていうのもムダの1つである。学校にとってお客様である子供を評価するあるいは悪い成績を親に通知するという考え方自体が、時代遅れでナンセンスである。 意識改革の意味も込めて、まずは名前を改め、通知簿は病院と同様診断書カルテと呼ぶべきである。

相対評価など論外だが、絶対評価であっても子供に数字をつけるだけの評価なら、そんな物はいらない。 必要なのは詳細情報である。例えば「分数計算が出来ない」とか「逆上がりが出来ない」といった学習診断書をつくり、それを塾やスポーツクラブに持って行けば、すぐに補習が出来るようにすればよい。

イメージとしては、病院が発行する各種検査結果や、レントゲン写真といったものであろうか。そういう評価ならコストをかけるだけの価値はある。病院が「おまえの健康度は2だ」と評価しても「2」という数字だけで具体的な内容が分からなければ、患者は何をどうすれば良いのか分からない。他の病院へ行っても、また最初から検査をやり直さねばならない。 他の教育機関と連携できないような評価、単に親を怒らせるためだけの評価など、全くのムダである。

手間暇コストをかけて通知簿を作成し、悪い成績を親に通知し、親を怒らせる事に成功したとしても、それで学力が向上するわけではない。 悪い成績を親に通知するなんていうやり方自体が、回りくどく、中途半端で何を目指しているのかよく分からないし、そもそも役に立っていない。 タテマエは色々あるだろうが、評価がいさかいを起こすことはあっても、実際に役立つなんて事はない。

神の物差しが地上に存在しない以上、評価や競争は必然的に不完全なものとなる。程々にしておかないと人間を歪める事になる。

ベルマークなんて言うのもムダの1つ、集めるための人件費の方が高くつく、そういうムダで非効率な労力をかけるのも、PTAが嫌われる要因の1つである。※親の負担は教育コストだけではない。共働きでPTAは面倒だから3人目の子供は諦めるという事態にでもなれば、少子化問題にも直結する。

本コラムでは「貧乏人を搾取してまで高学歴化を推進する必要はあるのか」と批判している。これに対し「では、貧乏人を搾取するのではなく『金持ち税(富裕税)』を導入して、それを奨学金の財源にすれば良い」と言う人もいるだろうが、結論を言うとそれはダメである。それをやると、金持ちは「一枚岩」となって対抗し、結果として貧乏人に跳ね返って来るだけである。つまり前述の大家のように、貧乏人をますます厳しく搾取する。

金持ち税(富裕税)というと聞こえは良いが、結局それは家賃や商品の価格に転嫁(上乗せ)され、最終的に(弱い立場の)貧乏人に跳ね返って来るものである。これはいわば金持ちが構築した搾取集金システムの「その上」に、さらに非効率な役人学者=サムライ商法が乗っかって来る事を意味し、貧乏人はますます搾取される。むしろ金持ち税(富裕税)イコール貧乏人税と認識した方がよろしい。

奨学金のおかげで貧乏人が大学に行けるようになれば、それに危機感を抱いた金持ちブルジョアは、さらにその上を行くものである。 貧乏人をさらに厳しく搾取しそのカネで息子を大学院あるいは難関大学に行かせるものである。 こうなるともう富裕税累進税も全くの無意味、全部貧乏人に跳ね返って来る。 これで儲けているのはサムライ商法である。

資本家の横暴を抑止する方法は、共産主義革命でも累進税でも、相続税100%でもなく、国民が資産形成する事である(資産形成する事で資本家の競争相手が増える)

たとえ給料がアップしても、負担が重くなれば帳消し、それどころか何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない弱みにつけ込んだ悪徳ブラック企業が蔓延る事になる。

何せ日本の賃金は世界一(ベトナム人の何倍もらっているのだ!)死ぬほど働いてもらわないと元が取れない。それがブラック企業の言い分、残念ながら彼らにも一理あると言わざるを得ない。では一番悪い奴は誰か?それは教育コストを増大させ少子化の原因を作った「サムライ商法」である(要介護の年寄りが増える一方で子供が減るのだから現役世代にしわ寄せが行くのは当たり前である)

本当に問題を解決したければ、キレイ事を並べ立てるのではなく、原因を究明すべきである。何人もの息子を大学に行かせるため働かざるを得ない奨学金(学生ローン)を返済するために働かざるを得ないそのような人が増えれば増えるほど労働条件は悪化過労死やブラック企業が蔓延る法律でいくら規制しても「ザルで水をすくうようなもの」ブラック企業に効果はない。

労働組合も当てにならない(なにしろ息子を大学に行かせるためにはカネがかかる組合員からの突き上げを食らい賃上げ要求を優先)下請けの労働条件など考えない。

(学者は絶対言わないが)ブラック企業をなくす最終兵器は無理して働かなくてもよい社会にするそのために真っ先にやること、それは「教育コスト削減(大学リストラ)」である

いくらキレイ事を言っても、企業は競争に勝たねばならない。無理して働かざるを得ない人間が増えれば、当然ブラック企業が増える。一方、形骸化した無意味なガクレキと分かっていても大学に行かないと競争に負けてしまう社会である限り無理をする人間が増える。この悪循環を断つ最終兵器は学歴税である。

これはブラック企業だけでなく、最低賃金制度でも、偽装請負でも言える事だが、いくら法律で規制してもなくならない。 むしろ規制が厳しくなる事で逆に失業するあるいは希望する職業に就けなくなる可能性もある。 私はIT業界に勤めているが、偽装請負を厳格に禁じたら私の仕事は無くなってしまうかも知れない、もしそうなったら国が代わりに雇ってくれるのか生活保護してくれるのか、政治家も役人も何考えているのだ!

ヨーロッパにブラック企業がないのは、単に労働時間を規制するだけでなく、莫大な予算を投じて生活保護しているからである。ヨーロッパ諸国は莫大なカネをかけ福祉の力で無理して働かなくてもよい社会を作り出しているのである。もっともそれには弊害もある(英国病になってしまう)だから我が国はまた別の方法を考えればよい。おすすめは教育コスト削減つまりサムライ商法をぶった切るそれですべて解決するのである。

法律でがんじがらめに規制しても抜け道はいくらでもあるし、逆に自分のクビをしめる事にもなりかねない。 物事はシンプルに考えるべきである。 複雑な労働法規も形骸化するだけであるし、労働組合も所詮は利益団体、下請けの人権など考えない。 それよりも無理して働かなくてもよい社会にするすべてはその1点に尽きる。 それこそがすべての労働者に福音をもたらす。 要はどうやってそれを実現するか、その「方法論」にある。

長時間労働を無くすために見回りに来るのか? それよりも長時間労働しなくても良い社会を作れよ、そのためには教育コスト削減が効果的である子供を1人前にするのにどれだけカネをかけているのだ!過労死も少子化も、すべては無理が祟っているのである。

大学進学率を一気に引き下げても良いのなら、すぐにでもブラック企業は無くせるが、それでは大学が倒産して社会が混乱する。だから学歴税によって、徐々に生涯学習社会へ移行させて行く適応するための時間を与えるそれが本書の提案である。

(人は己の市場価値以上は稼げないのであって、無理をすれば苦しくなるのは当たり前である)。 ではなぜ労働者は無理をするのか、背伸びするのか、それはムスコを大学に行かせるため、カネがかかるからである。 息子を大学に行かせなければ、息子は差別され、将来定職に就けなくなるのではないか、その恐怖が労働者を無理させているのである。 つまり学歴ビジネス(サムライ商法)によって労働者は搾取され、苦しみ、健康を害しているのだ。

天下り役人も悪いが、それ以上に悪い奴は学者である。 学歴差別をまき散らし恫喝し「18歳人口を食い物に」教育コストを増大させ、少子化を引き起こし、自ら「社会のボトルネック」となっている「現代の貴族=学者」そのとんでもない悪行に比べれば、資本家の方が遙かにマシ、ブラック企業の経営者でさえも善人に見える。

扶養手当、児童手当、扶養控除、学割、少年法、児童買春、児童虐待、児童ポルノ、あしなが募金、奨学金、etc.....プトレマイオス的、ごちゃごちゃ複雑で中途半端な救済・保護制度よりも、国家が子供を養う=子供中心の地動説を導入すれば、それで一発すべて解決し、複雑な事務手続きも要らなくなり、大幅なコスト削減になる(小さな政府)。

複雑で中途半端な制度をごちゃごちゃ作れば作るほど、役人の人件費は勿論の事、それに加え(ヒマな役人は余計な事をしてくれるので)無駄遣いも増え、さらに無駄遣いを監視するためにもまたコストがかかり、社会の効率をいっそう低下させる要因となる。 船底についた貝のような「複雑な福祉制度」はこの際一掃しシンプルな福祉制度=国家が子供を養う制度一本に統合すべきだろう。

大人のベーシックインカムは無理だが子供限定ベーシックインカムは、現在の日本の科学技術・生産力でも、充分実現可能である。

政治家の中には大学の授業料無料を主張する者もいるが、順番を間違えていると言わざるを得ない。 なぜなら生活費がなければ人は生きていけないからであり、本当の貧乏人や虐待され精神障害を負った子供は(経済的にも学力的にも精神的にも)「大学どころではない」親から逃げるのがやっとである。

「子供が保護者を選択する」これを可能にするのが子供限定ベーシックインカムである。大人のベーシックインカムは何かと問題が多く私は反対なのだが、子供限定ベーシックインカムは充分に実現可能であり有用である。

これはむしろ子供にこそ有用な制度であるにもかかわらず大人のベーシックインカムを主張する者ばかりで子供限定ベーシックインカムを主張する者はいない。

「例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。やるならすべての子供を対象にベーシックに国家が子供を養うようにすべきなのだ。

前項では、国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカムの利点について述べた。大人のベーシックインカムは、怠けて働かない大人を作るだけだが、子供限定ベーシックインカムには、そのような弊害はない。 なぜなら子供はもともと働いていないし、勉強に関してはムチ(懲戒権)を持った親権者がついているからである。

また、子供限定ベーシックインカムを導入すれば(わざわざ大人のベーシックインカムを導入するまでもなく)大人だってかなり楽になり、それで充分である。そもそも何人もの息子を養い、塾に行かせ、大学に行かせるから苦しいのであって、もしそれらから解放され、自分の食い代を稼ぐだけなら(今の日本の生産力からすれば)そんなに辛いものでもない。

勤労意欲を失わせるような福祉は要らないが、さりとて現状のままが良いとは決して思わない重荷は取り除くべきである。そういう意味では子供限定ベーシックインカムには大賛成、ただそうは言っても、やはり自分の食い代は稼ぐという意識が必要である、そうでないと国家を支える人間がいなくなる。だから大人のベーシックインカムには反対である。以上が、ベーシックインカムの対する私の見解である。

ならばいっそ、すべての子供を対象に国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカムを導入すればどうだろう。どうせやるなら―――すべての子供を国家が養うようにし、さらに子供が保護者を選択する=親権バウチャー制度にすれば良いのである。そうすれば親の負担は激減すると同時に、競争原理が働きしつけ・懲戒も含めすべては常識的範囲に収まる。

たとえ可哀想な子供であったとしても、その子たちだけを「特別に税金で養う」となると、やはり納税者から反発が出る。 「例外的」「社会のお荷物扱い」も、また差別・虐待を生み出す。 やるならすべての子供を対象に国家が子供を養うようにすべきなのだ。

ただ国家が子供を養う=子供限定ベーシックインカムには、1つ問題点がある。 すべての子供に生活費を支給したとして、そこで親はどうするか、それで浮いたカネが大学や受験産業に流れ彼らを儲けさせる結果に終わる。 これでは従来のバラマキと変わらない。 だからそれを止めさせ正味少子化対策に向かわせる、それが学歴税である。

格差社会が広がれば、もう親の負担を軽くしないと子供を作る事すら出来なくなるだろう。そうなれば日本民族は破滅である。

ちなみに「学歴税」を導入しなかったら、もっと恐ろしい事になる。 これまで通り、オヤジの肩には子供の人数に比例したN人分の教育費負担が重くのしかかり、それに年功序列崩壊と格差社会が相まって、少子化・人口減少の流れは止まらなくなり、日本民族そのものが大学もろとも消滅する(尖閣どころの騒ぎではない)。

なにしろ日本人が、ガクレキ(受験戦争)のために費やしているGNPは、防衛費を追い抜いてトップなのだから、もっと効率を考えて、その半分でも他に回せば、児童虐待問題も、オヤジの長時間労働・過労死問題も、少子化問題も、年金問題も、すべて解決する。

女性を活用するとか、移民を受け入れるとか、これらは対症療法に過ぎない。 人口減少問題に関しては、やはり少子化問題そのものを解決する以外に道はない。

さらに嬉しい事に生涯学習社会に移行すれば、ポスドク問題も解決する(ポスドクとは博士号を取ったものの企業に敬遠されてしまい就職先がない人たちである)。 もちろん研究が成功すれば良いがうまく行くとは限らない、それで自殺されたのでは大学院まで行かせた親にとってはたまらない。 生涯学習社会に移行し仕事と研究が両立できる社会になれば、そのような悲劇は防げる。

教育や学歴がすばらしいものなら、社会人にこそ、どんどん広めてもらいたいものである。 大学・受験産業は、ガキ相手にサムライ商法殿様商売して教育コストを増大させ、あげく少子化・年金問題を引き起こし、自ら社会のお荷物=ボトルネックとなるのではなく、生涯教育の場で正々堂々と競争し、オトナの支持を得られるよう努めるべきである。

賃金などどうでも良い、それよりも現代社会の一番のムダとは何か社会の発展を阻害しているボトルネックとは何かに私は着目する。

小手先のテクニックよりも本質を考えるのが学問である。 社会の衰退を引き起こすボトルネックとは何か? 少子化の原因は女性の産道が狭くなったためか? いや違う! 原因は教育コスト増大にある。 つまり一言で言うとお前ら学者こそがボトルネックになっているその現実を直視し、持続可能な社会=生涯学習社会に移行すべきである。

パソコンと言えばウィンドウズ、ウィンドウズと言えばビルゲイツだが、もしもウィンドウズの値段がものすごく高くて「それがボトルネックとなって」パソコンの普及を妨げるような事にでもなれば、ビルゲイツだって断頭台に消える(ビルゲイツのクビを狙っている奴などいくらでもいる)そうならないのは、ビルゲイツ自身がそれを意識し努力しているからである。 ビルゲイツが何億稼ごうがそんな格差はどうでも良いが「少なくとも社会のボトルネックにだけはなるな」それが「現代のアントワネット」への忠告である。

孔子やマルクスの言葉を丸暗記しただけでは思想は生まれないし、そんな知識を蓄えただけでは役に立つわけもない

そもそも人間のすべての能力を数値化できる神の物差しは存在するのか?もしも神の物差しが地上に存在し、それでもって給料が決まり、物の値段が決まり、経済がまわるとしたら―――市場経済も民主主義もいらない―――それこそ不正や利権の入り込む余地のない理想的な能力主義社会が実現し、これはマルクスが夢見たユートピア「社会主義」である。

かつてマルクスが資本論で述べた資本家と労働者の対立はもはや過去のもの、むしろ現代は資本家の搾取よりもサムライ商法に搾り取られないよう気をつけるべき(2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!)格差格差と騒いでいる学者が一番クサイ

もっとも自己実現なんて言えるのは、それなりに豊かな社会が前提だが、日本の科学技術・生産力はすでに飛躍的に発展し「社会主義」を飛び越して「共産主義(格差なんかどうでも良くなる)」のレベルに達している。 これほど急速に発展した国は世界でも稀強欲さえ慎めばすでに共産主義は実現している。 我が国は(ソ連や北朝鮮を追い抜いて)真っ先にそのレベルに達しているのである。

子供にだって、実際には莫大な人件費がかかっているのだが、それはこれまで(子供を養っている)親が負担していたため、見えなかっただけである。国家が子供を養うとは、即ちそれを見える化するという事である。産業の合理化、生産性向上、IT技術の導入が、当たり前のように進む中、ひとり学校だけが取り残されて行くのは、子供の人件費はタダだと思っているから、コスト意識が欠如しているからだ。

コスト管理というと厳しいイメージがあるが、実は逆である。 コスト意識ゼロ、奴隷はいくら使ってもタダ穴掘りでも丸暗記でもボランティアでも何でも良いからテキトーに競争させておけという世界こそが、果てしなく続く無意味な競争・ガマン比べを引き起こす辛く厳しい世界なのだ。 国家が子供を養うことでこれらのコストが見える化され最適化され、効率化・生産性向上に繋がる。

そもそも残業代が出ない給料が出ない時点でその競争は間違っていると言えよう。※ 給料を払わないのはコスト管理上望ましくない、だから教育にかかるコストを見える化しよう国家が子供を養う制度にはそういう意図もある。

はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り子供はみんな同じだなんて事になったら共産化して行くと恐れた)。そこで子供はみんな同じではありませんという事を示すために(差別化)1人1人競争させ順番をつけるような教育を行い(序列主義)それが自由競争であり、そのような教育に反対する者は共産主義者であると決めつけ戦ってきた。テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨクの平等論や無限の可能性論がある。

ついでに言うと、国家が子供を養う制度になれば、有給休暇も要らなくなる。我が国は欧米に比べ、有給の消化率が低いなどと言われるが、有給だからこそ休みにくいという側面がある。そもそも有給休暇が必要なのはなぜなのか、なぜ「無給休暇」ではダメなのか?あなたは考えたことがあるだろうか?その理由は、

もう一度言う子供を養い大学に行かせる重荷から解放され身軽になれば有給などという大層な制度などなくても、オヤジは自分の甲斐性で、いくらでも休む事が出来る。

ところで話は変わるが、ゆとり教育は、平等論を唱えるサヨク日教組の仕業と思っている人もいるが、実はそうではない。 保守派側から出て来たものである。

金持ち特権階級にしてみれば、ガクレキとはあくまでも差別化の道具である(身分制度が廃止され相続税をガッポリ取られれば残るはもうガクレキしかない)そのために、かつてはスパルタ英才教育があったわけだが、詰め込み教育には弊害が多くもう限界、そこで「金持ちの学力を上げる」のではなく貧乏人の学力を下げるというのが新たな差別化手段として浮上してきた、それがいわゆるゆとり教育である。

ゆとり教育は、曾野綾子氏ら、むしろ日教組に批判的な人たちから出てきた案である。

「遺伝か環境か」冷戦時代とはこれら2つの考え方の衝突でありせめぎ合いであった。はじめ保守派は、競争が激化すれば、人の能力差は広がり、それでもって資本家と労働者の巨大な格差が正当化出来ると信じていた(もしもその差が科学的に検出できずサヨクの言う通り子供はみんな同じだなんて事になったら共産化して行くと恐れた)。そこで子供はみんな同じではありませんという事を示すために(差別化)1人1人競争させ順番をつけるような教育を行い(序列主義)それが自由競争であり、そのような教育に反対する者は共産主義者であると決めつけ戦ってきた。 テストを繰り返し、お前ら頭が悪いのは血統が悪いからだというのが保守派支配階級の狙いであり、その裏返しとして、サヨクの平等論や無限の可能性論がある。

結局、これまでガクレキ封建体制が続いてきたのは、冷戦時代の、左右イデオロギー対立に守られてきたからである(これは教育問題ではなく政治問題)

だがそれは何も(一部のバカな)親だけが悪い、というわけでもなかった。その背後には、冷戦時代の根深いイデオロギー対立がある。昔は受験競争は自由競争である自由競争に反対する者は共産主義者だというイデオロギーの下に、スパルタ塾なんていうものがあり、子供は学校でも塾でも家庭でもビシバシ殴られていた。 さらには成績を張り出す、なんて事も当たり前のように行われ、それが自由競争であると信じられていた。

さて20世紀は、米ソ両陣営がしのぎを削る冷戦の時代であった。教育においても平等論を唱える左翼と、英才教育を唱える保守派が激しく対立し、受験戦争が勃発し子供は殴られていた。 もちろん様々な教育改革も行われてはきたが、効果もイマイチなまま、むしろ弊害・副作用をまき散らし今日に至っている。 何1つ根本的には解決できていないのである。

格差社会を考えるに当たって80対20の法則というのがある。富の8割は2割の富裕層が独占するというアレだが、逆に言えば、残り2割の富で8割の人間が食って行けるなら(それだけの科学技術・生産力が社会にあるのなら)別にどうでも良い事である(食っていけないのならともかく、革命に命をかけるなど馬鹿げている、その結果生まれたのが中国・北朝鮮と知ればなおさらである)。

もう一度言う、2割の富で8割の人間がとりあえず食って行けるのなら格差なんか別にどうでも良い、革命など馬鹿げている、それよりも誰もが上流を目指しムリをする「的外れな努力を重ね消耗する」教育ビンボー、それが引き起こす少子高齢化年金医療の崩壊こちらの方がはるかに怖い。

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