前項で私は「競争には見識が必要である」と述べた。 左翼の卑屈な平等論もダメだが、一方で競争競争とバカの1つ覚えみたいに、格差を作り出す事ばかり考えている保守派もダメである。 「見識を持って競争しろ」とは「コスト割れするような過当競争はするな」と言うことである。 そもそも「残業代が出ない」「給料が出ない」時点で「その競争は間違っている」と言えよう。
ただ競争と言っても、何をどういう基準で競争させるのかという問題がある。 実際に子供を競争させるのは難しい。 価値観が多様化した現代においては、誰もが「我が道を行く」人の数だけ道があるわけで、競争自体がなかなか成り立たない。
保守派の人たちは「左翼の平等論」を批判する、たしかに「悪平等」は良くないだろう。 だが競争というのもまた難しい、そもそも「人間のすべての能力を数値化できる神の物差し」は存在するのか? もしも「神の物差し」が地上に存在し、それでもって給料が決まり、物の値段が決まり、経済がまわるとしたら―――市場経済も民主主義もいらない―――それこそ不正や利権の入り込む余地のない「理想的な能力主義社会」が実現し、これはマルクスが夢見たユートピア「社会主義」である。
「神の物差し」が地上に存在しない以上、評価や競争は必然的に不完全なものとなる。 程々にしておかないと人間を歪める事になる。 競争にはメリットもあるがデメリットも多い、特に人間の多様な能力、多様な価値観を認めない「偏狭な競争」はむしろ成長の妨げとなる。 それに何より給料がもらえないような競争をしてはいけない。
| |||||||||||||
前へ | 次へ |