いまどき学歴だけで採用を決める企業は少なくなった。 しかし日本人が学歴の呪縛から完全に解放されているかといえば決してそうではない。 学歴とは何なのか、その本質を解明し、トドメを刺さない限り、学歴はのどに刺さった魚の骨のように、これからも日本人を苦しめ続け、社会に悪影響を及ぼすだろう。 少子化も年金問題も、すべては「ガクレキ封建体制」にトドメを刺すことで解決できる「社会がワッと明るくなる」と言ってよい。 このように言うと、おそらく多くの人が「ホントに?」「なぜ、そうなるの?」と疑問を抱くだろう。 しかしこれから順を追って述べることを見れば「たしかにそうだ」「諸問題が解決できるかもしれない」と思っていただけるだろう。 はじめに「ガクレキ封建体制」について簡単に説明しておきたい「ガクレキ封建体制」とは親のすねをかじり親に負担をかけて大学に行く、それがスタンダード(多数派)となっている社会である。 社会人が自分の稼ぎで大学に行く「生涯学習社会」とは対極のものである。 ところでなぜ「ガクレキ封建体制」は諸悪の根源なのか? この点については後々詳しく説明するが、ここでも簡単にふれておこう。 端的に言うと、それは親にとっても子供にとっても不幸な制度だからである。 まず親にとっては負担が重い。 例えば息子が3人いて、3人とも大学に行かせようとするならば、オヤジは学費を稼ぐため過労死寸前まで働かねばならない。 これが一時期騒がれた過労死問題だが、まだそれでもカネを稼げる時代は良かった。 高度経済成長が終わり、年功序列が崩壊した現在では、かつてのようにカネが稼げず、子供を作ること自体も躊躇せざるを得なくなる。 それが少子化・年金問題となってあらわれる。 一方で、子供にとっても不幸な制度である。 お金のありがたみの分からない子供は、そもそも真面目に勉強しないだろうし、またそれをムリに勉強させようとすれば、体罰・管理教育・試験漬けなどの問題が発生する。 本人の意欲、自主性を無視して、殴ったり脅したりして勉強させるやり方は、本質的に非効率なのだ。 さらに「ガクレキ封建体制」は企業の採用を新卒偏重にさせる。 要するに親と子が結びついた状態での一発勝負であり、その競争はすでに幼少期から始まっている。 親に尻を叩かれ走る辛い競争である。 一時的に辛くても、いずれ幸せになれるのなら良いが、今の日本にそのような期待をするのは無理だろう。 誰もが親のすねをかじって大学に行く「ガクレキ封建体制」は、国民を不幸にして行く構造的問題なのである。 さて、日本人は学歴の呪縛から完全に解放されていない、と先ほど述べたが、それは依然としてこのような「ガクレキ封建体制」が存在しているからだ。 この事は多くの人が体験し、今もなお感じているはずだ。 だが受験競争を否定するようなことを言うと、すぐにこんな声が聞こえて来るだろう。 「自由競争こそが今日の繁栄を築いて来た以上(多少の弊害はあっても)受験競争そのものを否定する事など出来ない」「受験競争がいやなら(競争のない)社会主義国へ行け」 結局、これまでガクレキ封建体制が続いてきたのは、冷戦時代の、左右イデオロギー対立に守られてきたからである(これは教育問題ではなく政治問題)。 そもそも「受験競争」は「自由競争」なのか、本書の「まえがき」を読んで、もう一度考えていただきたい。 | |||
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