第2章 学歴税(マトリクス累進)を導入せよ!

2−22 もしも学歴税を導入しなかったら

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 どのようなことでもリスクやコストを認識すべきだろう。 コストを無視し続けると国益を損ねる事になる。 「国益」という言葉で私はあるエピソードを思い出す。 その昔ある有名な小説家が「たしかに受験競争も自由競争の1つにちがいない」と認めた上で「とはいえやたら金がかかり、それ故いずれ崩壊して行くだろう」と予言した。
「金がかかり過ぎいずれ崩壊する」そこに目をつけた彼の予言はなかなか鋭いが、残念ながら予言の半分は外れている。 そもそも受験競争は自由競争とはいえないのだが(それは当時の認識としては仕方がないとして)果たして自然崩壊してくれるのだろうか? 思いの外しぶといというのが率直な印象である。 いずれ自然崩壊するのかもしれないが「自然」に任せていたら、それこそ少子化と財政赤字によって「国家の方が先に崩壊する」のではないか? 私が恐れているのはそこである。
結論は1つ、学歴税を導入し、人工的に破壊する(トドメを刺す)ことだ。

 学歴税により、単なる横並び意識から来る学歴取得は抑止され、本当に必要な社会人が大学に行くようになる。 この仕組みによって否応なく生涯学習社会への移行が進み、真に教養・文化あふれる社会になる。 但し「学歴税」にはリスクがある。 もしも社会人が振り向いてくれなければ「日本から大学は消滅する」というリスクだ。 だがそれくらいの危機感がないと、改革は進まないものである。

大学以外の一般企業は、最初からそれくらいの危機感を持って仕事をしている。
そもそも社会人が振り向かないような大学に存在価値はない、消えてくれた方が世の中のためになる。

ちなみに「学歴税」を導入しなかったら、もっと恐ろしい事になる。
これまで通り、オヤジの肩には「子供の人数に比例したN人分の」教育費負担が重くのしかかり、それに年功序列崩壊と格差社会が相まって、少子化・人口減少の流れは止まらなくなり、日本民族そのものが大学もろとも消滅する(尖閣どころの騒ぎではない)。 「学歴税」は、これまで繋がっていた「大学と民族の運命」をデタッチする(切り離す)ものという見方も出来る。 繋がったまま一緒に墜落するか、デタッチしてそれぞれ生き延びるか、私なら間違いなく後者を選ぶだろう。

少子化は憲法9条改正よりも優先度の高い国防問題である。 少子化が続けば毎年数十万人が消滅し、過疎化は止まらなくなる(そして老人ばかりになる)。 それは北朝鮮の核どころの問題ではない(百年後に日本人は中国に支配される「少数民族」となる)北方領土どころか北海道も盗られるだろう。
陸続きで多民族が入り乱れる中東とは異なり、まわりを海に囲まれている我が国は、今の時代あからさまな軍事衝突で本土を奪われる事はない(海を越えてまで攻めて来る大義名分はない)それよりも人口減少による過疎化、そこに移民が多量に住み着き「独立運動」と言う流れの方がはるかに怖い(ウクライナ化)。
産めよ増やせよ肉弾戦の時代ではないが、人口圧力が国防上重要な事に、今も変わりはない、人口圧力あってこその平和憲法である(それなりの人口があれば死体を処分するのも大変である)。
私は人口が維持できるならば、とりあえず今のままでも良いと思っている。 カネと時間をかけ、憲法9条の文言を多少変えても、それでどうこうなるものでもない(憲法改正に先立って教育基本法が改正されたが、それで教育は良くなったか? 国を愛する心は培われたか? いじめはなくなったか? 何も変わらないだろ?)。 憲法改正も別に否定はしないが「お家制度」とか「戸塚ヨット以前の受験管理教育に戻したい」とか下心が少しでもあるうちは成功しない、国民投票で否決である(改憲における最大の障壁は、左翼ではなくむしろ保守派内部にある)。
憲法9条よりも「国家が子供を養う制度」の方が先ではなかろうか、ちなみに私が主張する「子供限定ベーシックインカム」は、説明の便宜上そう言っているだけであって、いわゆる左翼が好む「大人のベーシックインカム」とは別物である。
抽象論に逃げ込むのではなく、何をどうすれば良いか、詳細は次章で述べるが「こうすればこうなる」という事実関係「こうこうこうやって解決する」具体策が必要である。

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