第2章 学歴税(マトリクス累進)を導入せよ!

2−10 格差よりも教育ビンボーに気をつけろ!

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 これまで何度も述べてきたが本当の問題は低賃金でも格差でもない「ガクレキ」こそが問題なのだ。
格差など別に問題ではない―――それはどういう事か説明しよう。 要はビルゲイツのような一部の金持ちなどどうでも良いのだ、貧乏人も豊かになり、金持ちは「それ以上の速度で」豊かになる、結果として差が広がったとしても、社会全体が豊かな方向に向かっている限りは、それほど文句は出ない。
(むしろ下手に「革命を起こそう」などと考える方が大変な結果を招く)
 だが金持ちはますます金持ちになって行く一方で、貧乏人はますます貧乏になって行くならば、つまり「向かう方向が違う」ならば不満が爆発する。 幸い現状はそうなってはいないが、将来そうなって行く可能性がある。 私が言わんとしているのは「その可能性の芽を摘む必要がある」という事である。

@ 年功序列で高い賃金をもらうオヤジが、
A 何人もの息子を大学に行かせる、
B 家父長制度「ガクレキ封建体制」

このような社会ではいくら金があっても足りない。
春闘も賃上げも焼け石に水「教育ビンボー」である。
高度経済成長の時代はまだそれでも良かった。 毎年春闘を繰り返し、それで賃金が上がり、経済成長が実感できたのだから、それはそれで幸せだった。 だが低成長時代の現在では、終身雇用・年功序列が崩壊し「教育ビンボー」は少子化に直結する。 そして少子化は年金制度を破綻させる。
年金制度が破綻して行き着く先は姥捨て山だ。 それは国家が滅びるに等しい。
 国民を不幸のどん底に突き落とすのは、格差でもなければ、学力低下でもない。
第1章でも述べたが、教育コストの野放図な増大「教育ビンボー」が国を滅ぼす。
今後は格差よりもむしろ「ガクレキをどう始末するか」が課題となろう。

教育に対する投資を否定するわけではないが、少なくとも「聖域扱い」は良くない。 他の投資と「対等に比較し」「課税されるべきもの」と私は考える。 むしろ他の財産同様「学歴にも課税する」事で社会はバランスを取り戻す。
「大学に行かないとロクな仕事に就けないよ」「ますます格差は広がるだろう」とか言って恫喝するのが、サムライ商法の常套手段、そうやってカネを搾り取るのである。
すべての職業は社会に必要とされているものである、稼ぎの良し悪しだけで安易に、勝ち組負け組、上流下流に分類する職業観とはいかがなものか?
例えば大工になりたい、重機を操作する仕事に就きたいという小学生がいたら、大人は「そんな仕事は下流だ」と言って笑うのだろうか? 大企業に入るだけが勝ち組なのか、皆がそれを目指して殺到するのか?  子供がヤル気を失うのは、豊かになった社会というのもあるが、それ以上に大人の歪んだ職業観・歪んだ上流志向が原因ではないのか?
あんな職業はダメだ、こんな職業はダメだ、一流大学を出て大企業に入社する以外は、すべて負け組であるというような考え方を刷り込まれれば、ヤル気を失い、もはや努力自体を放棄する者も出て来る。
私はコンピュータプログラマをやっている。 不思議な立ち位置だが、コンピュータプログラマはインド人や中国人にとってはエリートだが、日本社会では下流である。
いまや技術者やものづくりは、すべて下流である。 なぜそうなってしまったのか、それは産業の空洞化と海外移転である。 ではなぜ海外移転が起こるのか、それは賃金の高騰が原因である。 ではなぜ賃金は高騰するのか、その原因は「教育コスト増大」にある。
インド人や中国人にとってエリートであるコンピュータプログラマが、日本社会ではすでに下流である。 ということは日本の賃金は世界一、日本人の賃金をこれ以上引き上げる必要は全くない。 (むしろ大企業であぐらをかいている奴らは引き下げるべきである)
生活向上のためには、賃上げよりも、生活の無駄をなくす「教育コスト削減」が有効である。

格差なんて別に問題ではない。 格差なんて言葉に惑わされてはいけない。

むしろ格差格差と騒いで、不安を煽り、やたら高学歴化を進めようとする奴らこそが、国民を不幸のどん底に突き落とす元凶と見て間違いない。 勉強勉強と子供の尻を叩けば、豊かになれるのか、幸せになれるのか、格差はなくなるのか、そんなことはない。 それはお隣の韓国を見れば分かる。

 日本以上に格差のある国は世界にいくらでもあるし、日本だって江戸時代はもっと格差があった。
別に勝ち組になれなくても、セレブになれなくても、貧乏なら貧乏なりに、幸せに生きる道はいくらでもある。 私のような「コンピュータプログラマ=下流」にとっては、むしろ「格差是正」を口実に「中流=年功序列のオヤジ」が息を吹き返す事の方が憂鬱である。 今後は賃上げよりもむしろ「低賃金でもやって行ける真に豊かな社会」を目指すことこそが重要課題であり、むしろ「賃金を引き下げ適正化する」事を考えねばならない。 格差そのものを問題とするのではなく、本当にふさわしい人間が、エリートや指導者になっているか、厳しくチェックし絞り込む事もまた大切だ。 そしてふさわしくない者は容赦なく引きずりおろす。 それを格差社会というなら、むしろ格差社会大賛成である。

 格差社会などというと、セレブの生活が話題になったりするけれども、そんな一部の金持ちなどどうでも良い。 問題は「平均がどこにあるか」である。 中流層が大量に引きずりおろされる事によって、平均が下がり、下流との差が縮まって行く。 それは見方を変えればむしろ良い傾向であり、当然の成り行きであり、より平等に近づいているともいえる。
必ずしも悲観するような悪い方向ではなく、うまくやればむしろ良い社会を作ることが出来る。
 ただ同じ平等でも、中流を引きずりおろすのではなく、下流を引き上げてはどうだろうかと考える人もいるだろうが、それは無理である。 どれぐらい無理かというと、石油を燃やしてその熱で海の水をすべてお湯にするぐらいに無理のある事である。 そもそもコンピュータプログラマでさえ下流の時代に、特別な才能があるわけでもない人間を安易に中流にするなど決して許してはならない。
それは社会の歪み以外の何でもない。
 そもそも中流なんていうのは、年功序列があってこそ成り立つ階層である。 芸能人にしろ、ミュージシャンにしろ、画家にしろ、野球選手にしろ、芸人にしろ、要するに売れるか売れないかの二者択一でしかない。 人間社会には、基本的に上流と下流の二階層しかない。
 昼の仕事、堅気の仕事である限り、濡れ手で粟のようなうまい仕事はまずない。 もしあったとしても、皆が殺到し、競争が激化し、需要供給の法則により、値下がりするのが経済の常識である。
中流なんていうのは、本来は存在しないし、存在してはならない階層である。 もしも無理に「中流」を作り出そうとすれば、それこそ下流の人たちの犠牲、搾取の上に成り立った中流という事になる。
 政治家の中には「全国民を中流に引き上げる」などと言う人もいる。 だが中流なんていうのは下流がいてこその相対的な存在であり、みんなが中流になれば、それは即ち下流である。 もちろん科学技術は進歩しており、数十年後の下流は今の中流以上の生活レベルに達しているという事はあり得るかも知れないし、そうあって欲しいが、あくまでも社会階層として見る限り、下流は下流である。
 私は、格差社会というものを前向きにとらえている。 セレブや成金など一部の金持ちを羨むよりも、まずは自分たちの生活・社会制度を見直す良い機会ではないか? (無駄をなくし賢く生きようではないか!)格差社会といっても、やり方次第でむしろよい社会が作れる。
今はそのための変革期と捉えることが出来る。

格差社会を考えるに当たって「80対20の法則」というのがある。 「富の8割は2割の富裕層が独占する」というアレだが、逆に言えば、残り2割の富で8割の人間が食って行けるなら(それだけの科学技術・生産力が社会にあるのなら)別にどうでも良い事である(食っていけないのならともかく、革命に命をかけるなど馬鹿げている、その結果生まれたのが中国・北朝鮮と知ればなおさらである)。
むしろ2割の富で8割の人間が食って行けるだけの「科学技術」「生産力」が社会にあるのは素晴らしい事であると「マルクス思想を学んだ」私はむしろそう考える。
生産ボタンであれ核ボタンであれ一部のエリートが管理するものであり、それは資本主義も社会主義も変わらない。 希望格差社会? バカな事を言うな、全員がイチローやビルゲイツになれるわけないだろ(笑)。
むしろ今後は格差社会をネタにカネをゆすり取る「サムライ商法」の方こそ気をつけるべき、いま問題なのは「格差よりも教育ビンボー」である(「中流を増やせ!」は中流に寄生するサムライ商法の主張でもある)。
もう一度言う、2割の富で8割の人間が「とりあえず食って行ける」のなら格差なんか別にどうでも良い、革命など馬鹿げている、それよりも「誰もが上流を目指しムリをする」「的外れな努力を重ね消耗する」教育ビンボー、それが引き起こす「少子高齢化」「年金医療の崩壊」こちらの方がはるかに怖い。
本書に数字はあまり出てこない。 そういうのは学者の得意とする分野で、そのような類いの本は、既に沢山出版されている。 しかし書評を見ても「ではどうすれば良いのか」という声が圧倒的である。 いくら数字を並べ立てて「格差社会」「分断社会」を浮かび上がらせたとしても、そもそも格差・分断の何が問題かという本質論、どうすればよりよい社会になるかアイデアがなければ意味がない。 それどころか数字の解釈をめぐり己の立場が入り込んで来るから厄介、単に大学無償化すれば良いのか?  大学進学率九割の韓国は豊かで素晴らしい社会か? 本書は数字よりも本質論を追求する。

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