第2章 学歴税(マトリクス累進)を導入せよ!

2−5 エリート論

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 そもそも「エリート」とは何なのか? 東大卒のエリートなど腐るほどいるが果たして世の中のために役立っているのだろうか? 「3人寄れば文殊の知恵」と言われるが、だったら東大卒の優秀な頭脳が千個も集まれば、それこそ少子化も年金問題も一発で解決できるはずなのだが、そうはなっていない。
いったいこれはどういう事なのか? 実は日本のエリートは単に丸暗記がうまく、要領が良いというだけで、肝心の思想を持っていない。
自ら思想をつくって社会の役に立つなど、とてもできはしないのだ。
いくらたくさん本を読んでも、応用が利かなければ意味がない。

 そんなエリートが幅をきかせているのは、実に深刻な問題である。 「国家のエリート」とは何ぞや。 原点に立ち戻り見直す必要がある。 計算が速くたくさん暗記しているからエリートなのか? 知識をいっぱい持っているからエリートなのか? いいやそうではあるまい。 思想を持ち思想をつくる者こそが真のエリートなのである。 思想がなければ国民を導きようがない。
 昔のエリートといえば、国が乱れた時には新天地を開くべく思想を求め、天竺まで旅をしたものである―――今思えばバカバカしい面もあるが、それでも一生懸命やっていた。 ところが今や国家の中枢で甘い汁を吸い、威張るのがエリートという事になってしまっている。 そんな名ばかりのエリートになるための苦行がお受験だ。 かつては子供をハダカにして水をぶっかけ、ムチで叩くスパルタ塾もあった。 しかし、スパルタ式教育も、そうでない教育も、どちらも真のエリートは育成できなかった。

 指導者たるもの、思想は絶対必要であるが、一朝一夕に会得出来るものではない。 それはいわば悟りの境地を切り開くようなものだからだ。 孔子やマルクスの言葉を丸暗記しただけでは思想は生まれないし、そんな知識を蓄えただけでは役に立つわけもない(それこそ人工知能に代替出来てしまうものである)。 ガキの英才教育に金をかける必要などない。 それよりも「バランス感覚ある」大人の生涯教育に金をかけた方がよい。 子供は読み書きそろばんをさっさと教え、早く社会に出した方がよい。
それが人格の基礎となり思想を生む土台となるのだ。

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